前回の地域ボスが議員になる不幸についてのつづき。
この具体例として、井舎英夫・市議がわかりやすい。
彼は春木地区の校区長である。
地域では、長年進展がなかった駅や、紀州街道の整備に尽力したとして知られている。
これが真実だとしても、井舎の功績というよりは、春木地区の議員らの無能ぶりを叩くべきであろう。
しかも、仮に井舎さんが頑張ってくれたのだとしても、それは校区長の看板があってのことで、個人としての力ではない。
看板があるからこそ、議員らも超党派で協力したのであり、同じ議員の立場にな れば、他の議員からすれば「何で同じ政党や会派でもない井舎さんの手柄となることを手伝って、選挙協力をせにゃならんのか?」となるのは当然で、だからこそ彼は大間違いな路面電車の敷設(議員は予算編成権がない、これをやるのは市長)のようなデマ公約だけでなく、議会内では何もさせた貰えない存在となっている。
井舎さんは井上博氏と改革クラブをつくっているが、一人会派のようなものだ。
井舎さんには井上氏にあるような行政人としての経験に基づく理詰め闘いもできぬし、一人なら一人の闘い方があるのだが、そんな知恵も一人で闘い続けてきた先人たちの知恵を学べる市民派議員ネットワークもない。
だからこそ、一人では何もできないとの恥ずかしい見本となってしまっているのだ。
私はあえて彼の市議としては遅咲きな年齢を、一切批判していないし、25歳の新人をその年齢だけをもって批判しないのと同じく、100歳の新人議員がいても良いと思っている。
だが、その内容は批判する。
今まで生きてきた知恵を使えず、単に頭が固いだけだというのが年長者の特徴だと井舎さんが示すなら、「そんな議員はイラン!」と声を大にして言うしかないし、そんな地域ボスを選ぶ有権者に警鐘を鳴らすしかない。
それが例え銭をかすめ取る事ばかりを考えている議会内で、銭に汚くない(制度的ネコババをしていない議員は26名中誰もいない)井舎さんはまだマシだったとしてもだ。
地域ボスとして、議席を得たのならば、その地域住民が「うちのとこには〇〇が地域の代表として出ている」程度に公言しても、恥ずかしくないような議員活動をすべきだ。
荒木町会推薦の反甫旭(自民)、
尾生町会の池内矢一(自民)、
春木戎町の鳥居宏次(自民)、
岡山町の井上孝三郎(新生)、
磯ノ上町の雪本清浩(新生)、
春木泉町の稲田悦治(岸和田創生)、
河合町の河合馨(岸和田創生)、
本町の金子拓矢(刷新)、
別所の西田武史(刷新)、
土生町の京西且哲(刷新)、
野田町の井上博(改革)など、
多くが地元町会の役をやったり、だんぢりでお立ち台に立ったり、その世襲だったりする地域ボスの集い議会で、市全体のことなど考えるはずがなく(この中で、博氏は市の部長職だっただけあり、野田だけでなく全域を見ている稀有な存在)、
それが「中核市、やれやれ言うてやらしたけど、やっぱりや~めた!」といった無責任な仕事をさせていて、
そのツケは同じ焼却場を使っている貝塚で20円/45L(以前は9円だった)のゴミ袋が、岸和田市では45円も取られるような市政に払わされていると知るべきだろう。