夜職女性の人権分科会では以下の順番で発表がありました。
Bond project・橘ジュンさん(40分)
若草プロジェクト・大谷恭子弁護士(40分)
ホワイトハンズ・坂爪真吾さん(20分)
風テラス・徳田玲亜弁護士(20分)
SWASH ・要(20分)
Grow As People・角間惇一郎さん(20分)
分科会では70名ほどの参加でした。
分科会後、約120人が参加した交流会では、各分科会のスピーカーが順番に感想コメントする時間がありました。
夜職女性の人権分科会からは最初に大谷恭子弁護士が分科会の感想をお話しました。
大谷弁護士がお話した全内容を正確に書き起こすことができないので、私が特にひっかかって、大谷弁護士の発言のあとに、参加者の皆さんが注目する中で、大谷弁護士に申し上げた点について書きます。
大谷弁護士は、分科会の感想の中で、「好きで(セックスワークを)やっている人たちは」という表現を何度も、何度も、使いました。
つまりどういうことかというと結論として、大谷弁護士は、今日の分科会の全プレゼンを聞いて、「『好きでやってる訳ではない人々」の側に立って支援活動をしたい」と確信したらしく、そのように明言しました。
大谷弁護士が、「(風俗の仕事を)好きでやっている人々」というカテゴライズ名を言い放つたび、私とまきまきは、大谷弁護士に向かって、「好きでやってるとかそんなん誰も言ってない!なんでそういう言い方するの?」という気持ちを込めて、大きく首を横に振って大谷弁護士にアピールしましたが、大谷弁護士は「好きでやってる人々」云々話をしばらくやめなかったので、短い時間でも、精神的に堪え難い時間でした。
私は大谷弁護士の発言のあと、マイクをもらい、今日の分科会の総括がなぜそんな総括になるのかという思いでこのように話しました、「『好きでやってる人々』なんていう言い方、今日の分科会で誰一人言ってません。むしろ、そのような二項対立を越えていかなければならないという話を、ホワイトハンズ、Grow As People、SWASH がしていたではないですか。大谷先生はご自分がそのような思いになることを『自分はどこに行ってもマイノリティなんだなと思った』とおっしゃいますが、そのような思いになるご自分を焦点化して向き合う話だと思います」。
以上が交流会での少しエキサイティングな場面のレポートでした。
このレポートを読んでいる人の中にも、なにかの当事者だったり被害者だったり、また、支援者だったりしたことがある人がいると思いますが、詳しくは書きませんが、様々な運動課題の中で、当事者分断として、好きでやってる人とそうでない人というような見方が、過去強烈な傷跡を残してきている歴史はご存知と思います。
大谷弁護士は障害児を普通学級への運動にも昔から取り組んでこられましたし、そのことについては個人的に尊敬の念も抱いてますし、話が通じない人とは思いません。ただ、今日のホワイトハンズ、Grow As People、SWASHの語りでは通じなかったようです。
「好きでやってる人とそうでない人」と分ける人はこれまでもたくさんみてきましたし、上述したように、社会運動あるあるな既視感満載な場面でもありますから、皆様のそれぞれの持ち場で、どのように分断を避ける言葉、関係、経験を獲得してきたか、まさに、インターセクショナリティな領域((階級、ジェンダー、民族、人種、障害、宗教、セクシュアリティetc)複合差別(を生み出す状況)あるいは複数の要因からくる弾圧(を生み出す状況))として、経験を共有して頂けると思いました。
(引用ここまで)
大谷恭子さんについて、私は
それでも彼を死刑にしますか―網走からペルーへ 永山則夫の遙かなる旅 –
程度しか知らない。
この書籍についても、堀川惠子さんの故永山さんシリーズというべき一連の著作からのつながりで出会ったものだ。
障がいを持つ児童を、普通学級にとの考えは私ともリンクするが、当然すぎるその考えをあえて理論武装する必要もないまま来てしまっているので、大谷さんの知恵を借りる必要性も薄く、彼女を知らずにいた。
これらの点で、彼女と私は親和性が高い。
しかし、私は性産業従事(大谷さんに合わせてあえて夜職としない)を「好きでやっている」とは考えないし、日本の脆弱な社会福祉環境を支えているのは、性産業と刑務所とヤクザ組織だと考えている。
性産業従事について、市民運動にかかわる人や優れた人権感覚を持つ人でも蔑視している人は多いように感じる。
これは精神障がいのある人に対しても同じだ。
この人たちは、「障がいのある子どもを残して死ねない」と心中し損ねて、親だけが生き残った場合、嘆願書に協力する側だとの意識が、私にはある。
近年でも、相模原事件での障がい者の生きる権利に言及し、加害者を安易に精神的な疾患があるとすることに反対する集会で、市民運動で見かける顔はついぞ一人も見つけられなかった。
精神障がい者支援の関係で知っている人や、原記者の「医療・福祉のツボ」 : コラム : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)で著名な、原昌平氏(登壇者)はいた。
彼らは他の人権分野での市民運動の場でも見かけるが、逆に市民運動側からの参加者とは位置づけない。
菅野完フレーズとして市民運動をもさす言葉である「女・子どもは黙っとれ!」を私はパクっているのだが、まさにそれを地で行く市民運動の薄っぺらな側面が垣間見える事象だろう。
同方向であろうが、間違ってるものは間違っていると指摘すべきであり、内ゲバではないよ。
それにしても、デモのような晴れの日は大好きだが、資料解析や監査請求のようなケである実務はしない、はしゃぐだけの市民運動が、3.11以後も反原発のうねりを再稼働へと引き戻させたのであり、安倍内閣の支持率低下が更なるネトウヨ組織である都民だけファーストという新たなしかも劣悪な妖怪を誕生させたのも、そのような旨いことだけつまみ食いして、やった気になる市民運動参加者や、そこにすり寄る腹の座らぬ野党の甘い姿勢によるものだ。
そして、大谷さんに反論したのが、主催の修習生でなく、ゲストの要さんであったことにも私は危機感を唱えたい。
法曹者として、言論の自由を守る意識があるなら、大谷発言を遮ってでも糺すのは、修習生の役割だ。
そこまでの意識や知識が分科会担当者にもなかったのであれば、7月集会自体が意義あるものではなく、「しんどかったけどやり切ったね」的達成感を役員らだけが埋める、文化祭としての役割しかなくなってしまう。
そんな学祭で飲食屋台を出しているような感覚で7月集会が行われているわけではないだろうし、その中身も、その後のつながりの場としても、誰もが参加すべき意義のある学習会であると、聴衆としての私(過去の参加はあるが、今年は不参加)は考えるし、OB(現職弁護士)らもそう考えるからこそ参加してるのだろう。
ゲストとしてもそこで自身の論を闘わせることが、ゲストとしての役割だろうし、大谷さんも弁護士として説明責任がある。
そのような予定調和をはみ出した喧々諤々があってこそ、単なる市民運動の学習会でなく法曹者がメインの集会であると評価されるのではないか?
言論や人権の担い手として、市民が法曹者にかける期待に応える場として、更に7月集会の中身に磨きが刈ることを期待したい。
資料:
私の要さんへのコメント
たかひら正明
本来であれば、企画した70期生が大谷さんに指摘を行うべき発言であったと考えます。
それでこそ弁護士としての自浄作用や自由な議論の場が開かれたのではないでしょうか?
70期生はいまだ現職ではないことから遠慮があるのかもしれませんが、7月集会を企画運営するような、率先して困難を乗り越えようとする修習生は、2回試験を恐れることはないでしょうし、任官等においても弁護士に反論したことがマイナスに働くとも言えないでしょう(公務員希望者へのマイナスとあえて言うなら、青法協と関わっている事自体がそうと言えます)。
青臭い時期だからこそ、先輩に対して主張を行う気概を修習生には見せていただきたかった。
しかも法職として最も大事な人権分野にかかるが、それを軽視するかのような大谷発言ですから、本来なら〆に至るまでの発言とオンタイムで、また、周知の意味を込めて夜の宴会の場の発言タイムでと、2回は主張し、その都度大谷反論や検証も幅広く行われるべきでした。
少なくとも当事者や支援者などの側から訂正や主張される前に。