岸和田市で今も税を食み続ける土建屋と政治との癒着は、今に始まったことではない。
見つめる岸和田11号でもお知らせしたように、福祉センターや市役所が、なぜ法定耐用年数の60年を待たず、45年程度で外壁の崩れなど、ボロボロさが増して、建て替えの必要があるのか?
その元凶こそが、この岸工会事件だ。
当時の中澤米太郎・市長が、そのからくりの創始者かは不明だが、少なくとも表立って大問題となったのは、彼が初めてだろう。
中澤氏については、松浪健四郎・日体大理事長が、11.9西田武史決起集会で、スポーツマンとして褒め称えていた。
1946年に岸和田市商業学校長(現岸和田市立産業高等学校)となり、1961年に退職直後、市長選挙に出馬。
73年まで3期を努め、市民プールの設置、木材コンビナートの建設、臨海工業地帯造成埋立工事の推進、体育館・運動場の設置、下水処理場の建設などに尽力した彼は、
岸和田中学校5年次に棒高跳で日本新記録を樹立。
1928年アムステルダムオリンピックに出場し、棒高跳で6位入賞を果たした(この種目での日本人初入賞者。
よく、間違った邦訳で、「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言われるが、古代ローマの風刺詩人ユウェナリスの言葉の正しい邦訳は、「健全な肉体に健全な精神が宿りますように」だ。
つまり、ユウェナリスがマッチョなローマ市民に対し、誘惑に打ち克つ勇敢な精神を強く求めていたことが窺える。
この誤訳は、日本の盟友であったナチスドイツの軍国主義によって、始まったようだ。
この誤訳を地で行ったのが、中澤市長ということになろう。
著名なスポーツ選手で、健全な精神の人を、私は殆ど知らない。
現役引退後、コーチ学を学んだ桑田真澄氏の著作を読むと、選挙への指導について、自分が受けてきたものは間違っていたと示されており、スポーツ界では有用な主張だとは感じるが、スポーツ選手で政治家になった人で、“健全な精神”に基づいた、人々のための民主的な政治を行っている人は思い浮かばない。
松浪氏をはじめ、スポーツをしていた政治家の名前をある程度はあげられる。
しかし、谷亮子氏が、政治で入賞すらできなかったように、唸らせるような政策に尽力した政治家は思いだせぬ。
馳浩氏が、橋本聖子氏らと、国会議員の院内保育園(一般の子どもも受け入れ可能。 金子恵美・衆議員の送迎で問題なった園)の設置を行ったぐらいか。
野田聖子氏が協力しなければ、困難だった課題かもしれぬが。
前置きが長くなった。
1973年12月当時、中澤市長は、原昇氏との選挙戦で、その応援として滝本茂治郎(滝本建設代表)手紙が岸工会加盟の41社に発送され、それが明るみに出たことで、議会をあげて、中澤市政検証がなされる。
岸工会は1948年結成された、市内土建屋の集まり。
元から談合目的で結成されたのだろう。
1億円以下の工事の殆どを独占してきた。
本来は大手を加えた43社だが、別途大手2社を抜いて建設業共同組合(代表は滝本氏が兼任)を作っており、正しくは組合加盟土建屋談合だが、“岸工会”と称する。
新聞記事(共に10月14日付)を見ていただこう。
読売
(小記事は毎日)
朝日
新聞には、詳しく、1972年の工事請負について記されている。
総額約33億2164万円 261件
うち、約28億3300万円(87.8%) 225件(86.3%)
金額、件数とも約88%が岸工会の請負となっていた。
工事の指名業者数は、大小合わせて893社(うち、総合建設業337社)。
岸工会以外の請負は、約12%、約3億8800万円 36件に過ぎない。
岸工会43社 1419件
道路、下水道、学校建設など、金額の大きい移行時の殆どを独占。
岸工会以外の市内業者 30社 130件
岸工会以外の市外業者 57社 83件
電気、水道、塗装などの下請け工事などを含め、殆どが下水道施設などの特殊工事(2億200万円の住友商事によるし尿施設)だけ。
金額順に請け負った土建屋名をあげる。
① 田中組 3億8785万円
② 岩出建設 2億6806万円
③ 滝本建設 2億2636万円
④ 西田工務店 1億7885万円
こここそが、“疑惑の総合商社”西田武史の曽祖父が創業し、父昌(元市議)の兄が経営していた、現在の南海辰村建設である。
⑤ 西田建設 1億6384万円
⑥ リバー産業 1億5283万円
⑦ 才門建設 1億2681万円
⑧ 留河組 1億2281万円
⑨ 田中工務店 1億1344万円
⑩ 南組 1億773万円
件数順
① 堀田組 74件
② 田中組 73件
③ 留河組 72件
④ 田中工務店、木岡建設、谷口建設 67件
⑤ 寺田組 62件
⑥ 西田建設 60件
⑦ 南組 53件
⑧ 松島建設 52件
⑨ 岩出建設 51件
⑩ 和泉建設 50件
西田工務店について補足:
初代 西田勝三郎(岸和田工業 )
2代目 西田義郎(1969年、上野町西のウエルシアの南側[元藤井病院]にあった西田不動産を合併 宮本町→西之内→別所町)
3代目 光治 昌の兄(1937年生まれの80歳)
1962年(昭和37年)6月 – 西広建設株式会社(現:南海建設興業株式会社)を設立。 (連結子会社)
1975年(昭和50年)5月 – 南海建設株式会社と合併し、商号を南海建設株式会社に変更。
すねかじりな西田武史・ネコババ続行中市議は、
10月5日、元マクドナルドで行った出馬記者会見で、
「尊敬する人は?」と訊かれ、オジィちゃんと答えている。
これは大オジィちゃんこと、創業者勝三郎氏ではなく、まさに岸工会事件の渦中にいた義郎氏のことを指し、土建屋政治フォーエバーとの決意表明とも受け取れる。
手紙の内容抜粋(10月2日付 日刊泉州情報や、3日付各紙 )
「団体で決めたにも関わらず、反対の市長候補を支持するのはもってのほか」
「明日の生活に困ることがあっても、どんな扱いを受けても中澤氏を支持してゆきたい」
「(お世話になっている例)さいきん市の発注、施工が多くなっている。 また会長に対する指名停止処分や視界から不満の声があっても、私らをかばってくれた。 また市役所の側に事務所建設の心配もしてくれている。 会員の生活困窮の場合は『会長より申し入れよ。 率先して助けようではないか』という言葉まで頂戴し、業者の育成、向上に大きく貢献している。 このような立派な市長を見放すことはできない」
・随意契約も多い
42社、73億9335万3千円
契約業者はいずれも、2~3回の入札をした工事でも最低金額をれた同じ顔ぶれ。
・建設業共同組合の設立申請に、市の地番を無断使用。
岸城町5-18(1906-3) 107㎡
木造平屋1棟 65㎡
1964年から家賃1万3千円で、市が岸工会に貸し出していた。
無断改築などを行っており、議会追求で、市に返還。
・工事は遅れ放題(11月9日付 読売)
1972年発注工事では、77/544件に遅れが発生。
建設部15件、下水道部10件、市教委5件、水道2件=32件など。
うち、業者に一方的な責任があったものは、24件 16社。
遅延日数は、7~219日間。
大半が25日以上遅れているが、違約金は取っていない。
規定では4社1年、1社6ヶ月、2社3ヶ月の指名停止のはずが、4社のみを3ヶ月と甘い処分を行っていた。
・議会入札価格の的中率25%
46業者を無作為抽出して入札価格の的中率を調査すると、5/20件が的中していた。
切りの良い数字ばかりではなく、685万円とか387万円などの金額があり、入札金額が事前に業者に対して漏れていたと考えられる。
西田ファミリーもその恩恵に預かっていた、岸工会談合事件のプリンスが、大澤土砂崩れの加害企業ヤノコーポレーションなどの支援を請け、市長に君臨すれば・・・・
現在でも岸和田市では、工事の入札について、後から検証ができるような情報開示はなされていない。
このような、他の自治体では見られない、土建屋ファーストな隠蔽市政である岸和田市。
市民の立場では、役所ぐるみで隠蔽されれば、その府政を暴くことは困難だ。
私が、チェックの手を緩めれば、またぞろ、おおっぴらにでも談合は行われるだろう。
ヤノを始め、土建屋に怯えるか、土建屋とつるむ議員ばかりの議会のままでは、岸和田市の夜明けは遠い。