その表紙の下段に編集記として、「共聴アンテナ」というコーナーがある。
泉北版・金剛さやま版 7月6日号では、代表のさらがい直三氏がもっともらしいことをぶっている。
政務調査費の不正使用で問題となった堺市議のことを、 コミュニティは全く載せない のはなぜか――こんなメール が本紙ホームページの「皆さんの声」コーナーに届きまし た。
ホームページを見ない方にも、コミュニティの報道姿勢を再度説明します。
東京のことは分かっても私達の街のことはさっぱり、という倒錯した情報社会を補足するために、45年前にコミュニティを創刊しました。
従っ て地元ニュース優先です。
と ころが20年ほど前から、一流紙やテレビが市広報課の“記 者発表”しか報道しなくなり ました。
根ほり葉ほり調べて報道するのは、膨大な手間と人件費がかかるからです。
三流紙の報道で知っていても記者発表以外は報道しなくなりました。
だから、本紙は地元 ニュースではありませんが、 市が発表したがらない内容を、 根ほり葉ほり調べて報道しています。
ところで百条委員会で追及された堺市議の件は、 一流紙やテレビで何度も報道されています。
それを、本紙が後追いで二番煎じの報道をあえてする必要はない、と考えます。
もっといろんなニュースを流す方が読者に役立つと思います。
(さらがい)
(引用ここまで)
ここだけを読めば、確かにとうなづく人もいるかもしれない。
しかし、泉北コミュニティは、4大新聞に掲載されるようなことも、堺市や富田林市などに関することであれば当然扱ってきたし、あからさまな維新びいきで紙面構成を行ってきた。
そのせいで泉北住民の東京結果を見ても、維新びいきは根強い。
そこを問題視しているのではない。
何をどう取り上げようが、公正・公平などといった表現などありえないし、泉北コミュニティが維新の機関紙と全く同じ記事を掲載しても、それは社としての姿勢であり、コミュニティ側に問題はない(維新の政党機関紙を私は知らないが、丸写しだと、維新側はバッシングを受ける可能性はある)。
それを開き直らずに、さもメディア然として中立風を装っていることが問題なのである。
「20年ほど前」などと書いているので、私も書くが、コミュニティが監査請求や行政訴訟を始めたのは、私の手ほどきによる。
当時、松本さんという眼鏡の細い50代と思しき男性記者がいて、彼に情報提供したりしていた私は、私自身の学びや手法、参考図書を提供した。
松本さんは、とうの昔に退職しているだろうが、それを使ってコミュニティはオンブズまがいの情報公開などを活発にやり、それを自身のネタとして書いてきた。
但し、国民健康保険滞納者の個人名を公開せよと言った、あまりにも無理筋で人権無視な要求もしており、各個人でオンブズ活動をしていたNさんもHさんもコミュニティと共闘することはなかったようだ(彼女らの訴訟に関してはコミュニティが書いていたが)。
さらがい氏は、もっと前には長谷川俊英・堺市議と市民運動についても共闘していた間柄で、長谷川氏の初回選挙時だったかの写真などで、さらがい氏が登場しているものを見た記憶がある。
オンブズは人権感覚が弱いとは、よく聞かれる言葉で、私の知る限り、人権分野へもオンブズ活動と同じくらい軸足を置いている議員は、小林昌子・和泉市議しか知らない。
小林さんの強みは、オンブズとしての行政訴訟などに関しては彼女の夫が引き受け、二人三脚で行っていることで、たいていの市民派市議はオンブズ系に傾けば、北岡隆浩・高槻市議に見るようにネトウヨ化する(彼自身、市民派じゃないけど)。
オンブズとして現職市長(東坂浩一)を刑事告発する光城敏雄・大東市議も、人権分野では弱い。
逆に人権分野に強い市民派議員は、オンブズ系に弱い。
もろだし学園問題を一気に国家の問題とした、木村真・豊中市議も市民オンブズとして活動する人たちをうならせるほどの成果を他にあげているとは言えない。
私とて、オンブズ系に傾倒しているように見えているか知れぬが、本質的には人権により軸足を置いている。
人権分野は深いし、広い。
その広大さにこそやりがいを感じる市民派議員は多いし、学びの充実感もある。
しかも日本が人権後進国であり続け、訴訟でも解決しない問題は山積しているからこそ、その歯がゆさの中立ち上がる人が市民派議員となっている場合も多いので、どうしても市民派議員は人権分野に遍在するようになる。
翻ってオンブズは、一人の市民であっても訴訟に勝ち、行政ルールを変えることができる。
通常の市民生活を送りながらも行政や政治に勝利できるなら、あえて議員を目指す必要もなく、研究者的になっていくといった感じか。
コミュニティもそんなオンブズ系であるからこそ、容易に維新になびくようになったのだとの想像は難くない。
泉北では、藤井俊介・反ワクチン団体「ワクチントーク全国」事務局長のような当事者の方もいて、コミュニティもそれは知っているはずだが、そのような地域住民からの学びは不足しているまま、維新に吸い寄せられていった。
私も直接、藤井さんの自宅へ厚かましくも押し掛け、話を伺ったが、コミュニティと違うのは、そこから更に人権分野への学びを続けてきたことだ。
ワクチン被害などを積極的にコミュニティが掲載しなかったのは、広告主である医療機関に阿った部分もあろう。
金剛・狭山版では、赤ちゃんの予防摂取による初診料などを何重にも請求している税金無駄遣いを、明らかに医療機関からの広告が多い泉北版では触れないといったことでも明らかなように(堺市と岸和田市だけは1日に何種類摂取しても、初診料や指導料を1回しか請求しないことだけが原因ではなかろう)。
本題に戻る。
私はこれまで維新ネコババを返還させまくっている。
そのうち、以下の記事については、コミュニティに情報提供もしたが、問い合わせすらなかった。
4大紙の一つに掲載されたからだって?
ブログに記事を貼っているので読めばいいが、一見するとネコババだとはわからないような記事内容になっている。
監査請求で、返還勧告が出る前に、ネコババを記載ミスだとして返還しているからだ。
しかもブログで紹介している伊豆丸精二氏や高木氏は、泉北ニュータウンがある南区が地元な議員だしね。
これが維新以外の議員であれば、コミュニティは見過ごしたろうか?
「新聞は書かなかったが、れっきとしたネコババではないか!」と指摘しなかったか?
まして竹山市長ネタであれば、「三流マスコミはなぜかかないのか!」と、こぶしを大々的に振り上げ、キャンペーンを張ったのではないのか?
他のフリーペーパーや地域誌での比較をすれば、『あわわ』が思い浮かぶ。
創始者の住友達也氏の時代には有料ではあったが、吉野川第十堰の可動堰化問題への住民投票について、大きな役割を果たした。
その頃、私は長良川河口堰建設反対運動と並んで、吉野川第十堰についても工事反対の立場として見学に行った。
モンベルの辰野勇・社長も反対運動に参加していたが、山や川、自然に楽しませてもらっている多くの人々からすれば、参加者の割合は少ないと感じていた。
自然保全をしないならば、自然界と向き合わず、USJにでも籠っておくべきだ。
住友氏は、その後も買い物難民を救う移動スーパーとしてのとくし丸を立ち上げ、今では東京都23区内のような人口密集地を含めた全国にとくし丸を走らせている。
そんな『あわわ』と『泉北コミュニティ』を比較のまな板に載せること自体が恥ずかしくなる。
銭ゲバな自民や維新を支援するのであれば、その新自由主義者がゆがめて解釈した近代経済学の父アダム=スミスの思想から、その浅知恵と間違いを正してやることが、メディアに求められる姿勢だろう。
銭儲けという経済合理性を追求する行為は、基本的人権を侵害しないことを大原則として始まるのであり、弱肉強食の市場だけが神であるかの論をアダム=スミスが説いたわけではないと、盆踊りと葬式回りの選挙運動に明け暮れる彼らの脳に刻み込んでやらず、メディアの側が政治家側が説明すらできない空論の広告人として機能してどうする!
前述したように、コミュニティがどんな掲載指針であっても、人権を侵害したり、法などに触れない限りそれは自由だろう。
しかし、なぜ掲載しないのかの整合性のある説明はできなければ、他紙を「三流」扱いしたり、表現者たる資格もない。
地域誌であっても、メディアとして、“社会の木鐸”としての目的を捨て去ることはできない。
また、レッテル貼りな説明責任を放棄した面について指摘すれば、私は自身と志向が異なる皆様のサンケイも、安倍様の読売も「三流紙」などと揶揄したことはない。
事実誤認などを具体的に列挙した上で、その部分について批判しているし、ニュース記事として引用する際には、できるだけ産経から引くようにしている。
私のようなメディアですらなく、コミュニティと比べれば、極小で影響力もない発信ですら、そういった部分には配慮している。
泉北の大メディアであるコミュニティが、掲載指針すら説明できぬのであれば、表題のどこかに維新の名を放り込んで『維新と共に!泉北コミュニティ』とでも改名して公に開き直り、その姿勢を明らかにすべきだろう。