久米田駅で、もっと“しつけ”が必要な師弟を見つけたので、報告します。
師は小川和夫さん、弟子は新人の澤田和代さんで、どちらも共産党。
彼女は、2月13日に中之島公会堂で行われた「日本共産党のつどい」の決意表明では、
「明るく朗らかで頼もしい話しぶり。
信念の中にユーモアも忘れない、素晴らしい演説」を披露したそうです。
引用元 『中之島公会堂のつどい』
でも、私が2回、久米田駅頭で会った彼女の姿は、そうではありません。
手伝いの人が「共産党党員にあらねば人にあらず」なのか、「たかひらのせいで、“我が同士”の票が減る」と思っているのか知りませんけど、挨拶をしないのはいつもの姿です。
それでも現職や候補予定者同士は挨拶するものです。
私も市内の7駅を3週目も終わりかけるほど回っていますので、これまでに色んな「本人」と会っていますが、挨拶を交わさなかった人は、他の共産党の人も含めて、彼ら以外誰ひとりいません。
米田貴志副議長(公明)などは、彼のFBページで、まず朝立ちの様子を削除して、私に見せないようにし、その後、私のコメントを書き込めないようにしてお り、同級生だからか仲の良い京西且哲(無所属クラブ)と共に、言葉で仕事をする議員にあるまじき「言論封殺コンビ」(西田武史さんも含めてトリオ・ザ・口 封じ)とも私は呼んでいますが、その後も駅頭で会うと、私やスタッフにも始めと終わりの挨拶をしてくれます。
「さすが宗教政党党員」と褒めたいところですが、寺に破門されて、既に宗教としての体を成していないので、米田さんの人柄だと持ち上げておきます。
さて9期もやった小川さんですが、この「先輩」も挨拶を交わさず、しつけがなってないので、弟子が見習うのも仕方ないのかもしれません。
「たかひらが挨拶すればいいだろ。」との声も聞こえてきますが、私より後に来て先に帰る彼・彼女が通るのは、私が立つキオスクから5mはゆうに離れたサンクス側の歩道付近です。
そんなに離れているのに、大声で挨拶します?
演説ならいざ知らず。
で、そのまま世間話もする?
私は彼・彼女を見張っているわけではないので、そんなに離れた場所を通られれば、通過するタイミングもわかりません。
澤田さんは、片手を上げて、ザ・共産党な独特の言い回しで、7時から8時までの1時間、立っています。
その姿を「あの横で、『ハイル!』って言うたろかと思たわ。」と現職共産市議に話したら、
「新人やから、肩に力入ってるねん。」と言うので、
「私も新人やけど、あんな型にはまったことせぇへんよ。」と返すと、
「党の組織に入っている人と、あなたみたいな自由人とは違うねん。」と言われ、苦笑しましたが、彼女は鍼灸師なのに、患者さんとどんなコミュニケーションのとり方をしているのか、同業者として見たくなりました。
このような高潔で高貴な姿勢から察するに、私のような民草には挨拶など汚らわしくてできないということなのかもしれませんが、本会議場に二人とも入るならば、議席は同じ1年生議員なので、隣同士になる可能性があります。
そのときには、「挨拶を覚えましたか?」と、聞いてみることにします。
私は、女性議員が増えるのを歓迎しますが、ブッシュJR.さんの補完物として、差別主義者で戦争賛美なオッサンの内面を、黒人女性の皮で隠したコンドリーザ・ライスさんのような女性では、オッサンよりもたちが悪く、女性のたおやかな視線での政策提言はできないと考えます。
“澤田同士”の中身が、そのようなオッサンでないよう祈るしかありません。
手伝いの人も中々やるなと思ったので、ついでに書いておきます。
小川さんと澤田さんは交番前に立ち(陽が当たって、日陰に立つ私はうらやましかったですよ)、交番内の警官に「ここで立つな。」と言われたのか、自転車預かり所付近の日陰な歩道上に移動しておりました。
手伝いの人々は、彼・彼女と別に年配の男女2人ずつ4人が、いよやかの郷行きバス停前で、立っていました。
早朝なので、従業員の皆さんだと思われる5人ほどの待ち人は、バス停前が“軍団”に占領され、地声で演説もしているので、向かいのクリーニング屋前に並び場所を変えて並ぶしかありません。
そのうちバスが来て、“軍団”員のひとりの女性は、「いやー、ここにバス止まるんやって・・・。」と言いながら、南側の門の方に少し寄ります。
待ち人は“軍団”の前を通過して、バスに乗車するのですが、“軍団”は、無言の見送り。
「すみません」の一言もなし。
そのくせ8時前に帰る際には、別の女性が「地域の皆さん、お騒がせしました。 これで失礼します。」と、誰に言っているのか不明なカンペ丸読み的な挨拶をして、その場を去りました。
私の声も含め、「演説」をずっと聞かされているのは、駅員さんで、あなた方が迷惑をかけたのはバスに乗っていってしまった人たちと、クリーニング屋さんですが、個別に挨拶することもなし。
私は、久米田で遭遇した松本妙子(公明)さんや、何度も遭遇している米田さんの真似をして、個別に挨拶をして帰っていますが、党員以外は彼・彼女らに投票しないので、“澤田同士”らが知らない人への気配りはしなくても党則には反しない、と理解すればいいんでしょうかねぇ?
不思議な光景でした。
4月1日追記
ナチス式敬礼について
直立の姿勢で右手をピンと張り、一旦胸の位置で水平に構えてから、腕を斜め上に、掌を下側に、突き出すジェスチャーによる敬礼。
通常は「ジークハイル」(Sieg Heil、勝利万歳)、あるいは「ハイル・ヒトラー」(ドイツ語: Heil Hitler、ヒトラー万歳)の声を付随させる。
これはヒトラーへの権力や力の集中、忠誠を意味しており、これを受ける唯一の存在である総統ヒトラー自身は、肘から指先までを上に挙げる答礼でこの敬礼に応える。
ヒトラー以外の人は同じ敬礼で応える事が義務であった。
起源は、ローマ帝国の軍団の敬礼。
1923年にイタリアのムソリーニが率いるファシスト党で採用され、33年にドイツを支配したナチスも導入したといわれる。
スポーツとの関わり
1963年ベルリン五輪開会式では、各国選手らがヒトラーに向けてこの敬礼を求められた。
2013年3月16日、ギリシャの国内サッカーリーグの試合で、ヨルゴス・カティディス(AEKアテネ)がゴールを決めた後に、右手を斜め上に真っすぐ挙 げて喜びを表現した。
このポーズが「ナチス式敬礼」だとして厳しく批判され、ギリシャ代表チームからの永久追放処分を受けた。
カティディスは「ポーズの意味を知らなかった」と弁解したが、サッカーで保たれるべき平和を傷つけたと判断された。
現在の対応
戦後、ドイツではこの敬礼がナチス賛美をあおり、ナチスの犠牲になった人々への敬意を損ねるとして処罰の対象となった。欧州の数カ国でも同様に、厳しい目を向けられている。
五輪では現在、選手や審判員の宣誓は、右手は伸ばさず、片手で五輪旗の端を握って行われる。
日本の高校野球では、都道府県の大会では今も右手を伸ばす姿勢 が多いが、甲子園では、夏の全国選手権大会は50年代から、春の選抜大会も95年から手を挙げず、自然な言葉と姿勢で行うことが一般的となっている。
SPORTS×LIFE:国家主義と人種差別 横断幕問題1年 浦和、意識向上励む – 毎日新聞
2015年03月31日 東京朝刊 【石井朗生】
などを参照。