草の根観光会議 第4回シンポジウム 第2部 分科会にて

入場時に受付の男性から挨拶されたので、お返事を返すも、「誰だっかなぁ…。 見覚えもないしなぁ…」とそのまま入場し、その彼は司会を担当。
後に判明する彼は、上甲誠(青志会)阪南市議でした。
 
そんなことは知らずに
第2部 パネリストと語る分科会&親睦会編
へと突入。
 
約10名の円卓で討議。
各円卓ごとにテーマが違い、私が座った円卓では、「古い街をどう活かすか」といったテーマ。
「(観光客が減少している)だんぢリの魅力発信」がテーマとなった別の円卓では、「町会長や曳行責任者の意識改革」との結論が、町会長経験者から出ていました。
 
 
観光で人に来てほしいということは、都合の良い部分だけを見せるのではなく、見られたくない部分も見られたり、調査されたり、顔見知りだけでなく部外者がドンドン生活圏に入ってくるとのリスクも引き受けねばなりません。
 
私は瀬戸内海の離島出身ですが、今では架かってしまった橋に否定的です。
橋の完成後、私は一度も島へ帰っていませんが、「それまで鍵などかけた事のないのに、かけざるを得なくなった」、「治安が悪くなった」などの声が、風の便りに聞こえます。
しかも、盆正月に帰る者からすれば、車で直接家の前まで行けるようになり、利便向上したものの、島から度々出て行かない居住者には、交通事故の危険性が増したリスクの方が多いんじゃないのと思いますし、観光収益が上がったとの話も聞きません(島から本土に渡る手前にある大きな島はミカンや釣りなどの話題でTVで見たことはありますが…)。
 
しかも古い街並みであれば、火事や津波時などでの消火や救助がスムーズにいかない、行政から指定されるように、住民の基本的合意があるなら別としても、自由に建て替えもできない不便などの問題があり、アミューズメントパークのように無人地帯又は従業員として、一括管理された地域になっていない限り、その不便さやリスクを上回る利益がなければ、そのままを残す合意は得難いでしょう。
 
安易に「観光」と言っても、その覚悟を問われるのです。
その覚悟が地元住民にあるようには見えず、ええとこだけを見ているように、言い換えれば「都合のいい時に手を出すので、そこに投げ銭してくれ。 手を出さない時は、生活の平穏を乱すので寄ってくるな」に見えてしまうのです。
 
それが田舎の過疎地域であれば、またIT企業の移住で有名になった徳島県神山町のように定住する居住者であれば、地域も歓迎しましょう。
しかし、宿や店を開いていない、単なる住民にとっては、単に喧噪だけが増えることとなり、後々過剰に外国人や韓国客を嫌うような禍根を生むのではないでしょうか?
私の座ったテーブルでは、阪南市の最後の仇討ち場所を観光資源位できないかとの熱心な方が主導権を握って、話が展開しました。
 
その場所の説明については↓
紀行歴史遊学
各地の史跡を訪ね、その意義を考えます。
最初の日本最後の仇討

 
そもそも仇討ち自体がイスラム方式の「目には目を歯には歯を!」の具現化であり、幕府や藩が加害者を見つけられない場合に、許されていた制度ですから、そもそも発見自体が容易でないし、成功率も数%だったと言われています。
しかもその半分ほどは、浮気した妻と浮気相手だったとか。
夫の浮気は、ええんかい!って制度。
 
西欧の決闘とは異なり、今でも死刑を廃止していない日本で、それをことさら喧伝すれば、「今でも昔ながらの伝統で、血で血を洗う復讐刑を行ってます。 しかも国家がやっているので、国歌に歯向かう者へが主ですが、それを誤魔化すために仇討ち感もまぶしてます。 冤罪で、無実の人たちもずいぶん殺してきました」との説明も必要で、それは、恥を掘り起こして発信しまくることになるのではないのかしら?
 
しかも日本は米の保護領ですから、そのうち「米は死刑廃止したのに、いつまでやっとんねん! 継続してるのは、中国、共和国、アラブ地域位やぞ!」と言われて、廃止になるのは目に見えています。
米が廃止や中止しているのは、冤罪をなくすための超法規的手続き(スーパーデュープロセス)を死刑裁判には課しているから。
人権に敏感でなくとも、緻密に調査したりするので、経費がかり、「裁判所予算が不足するのでやめとこか」となっている事例も多々あり、根本的にはどうかとは思わんでもありませんが、それでも日本のように判事や裁判員が反対しても多数決で死刑判決を出せるような制度より随分マシです。
 
日本でも「袴田事件」で 死刑判決文を書いた熊本典道・元判事が、「死刑執行するなら、3審すべての判事が死刑同意しなければならない」と言うように、「判事間でも判断がぶれるような事案を死刑にいしてよいのか?」との議論が、感情でなく、刑事訴訟法の観点から議論されるべきです。
閣法の説明すら二転三転した挙句、維新に助けてもらって強行採決するしか芸のないような金田勝年・法相って、そもそも法律を学んでるんですか?
2013年3月29日の参院予算委員会、小西洋之(民主)参議員の質問で
「安倍総理、芦部信喜さんという憲法学者ご存じですか」
「私は存じ上げておりません」
等と答えたばかりか、
小西「では、高橋和之さん、あるいは佐藤幸治さんという憲法学者はご存知ですか?」
安倍「まあ申し上げます。 私はあんまり憲法学の権威ではございませんので、学生であったこともございませんので、存じ上げておりません」
小西「憲法学を勉強されない方が憲法改正を唱えるというのは、私には信じられないことなんですけれども・・・。 今私が挙げた三人は、憲法を学ぶ学生だったら誰でも知ってる、日本の戦後の憲法の通説的な学者です」
など、自分の無知をその反知性を通り越した恍惚ぶりで逃れようとしたのか、笑みさえ浮かべて恥ずかし気もなく答え、成蹊大学法学部卒(政治学科)のレベルを貶め、学生やOBからも「恥ずかしいから出身大学を名乗るな!」と抗議を受けた、安倍晋三首相の内閣構成員だから仕方ないのかも知れまへんな。
自民の法相と言えば、こんな人もいましたな。
2010年11月16日、柳田稔法相が地元の選挙区内で開かれた会合で国会軽視とも取れる発言をしたとして、衆院法務委員会で野党が反発、法相が謝罪に追い込まれる場面があった。
問題の発言は14日、広島市で開かれた「法相就任を祝う会」で飛び出した。
法相はあいさつで、国会答弁について「法相は二つ覚えておけばいい。『個別の事案については答えを差し控える』と『法と証拠に基づいて適切にやっている』。これはいい文句だ。分からなかったら、これを使う」などと語ったもの。
そんな話も持ち出しつつ、議論は進んだ。
 
終了直前、司会がマイクで話したい人の募集を呼び掛けると、私の隣席の仇討ちさんが話した後、「隣に熱い人がいるので、マイクを替わります」と、突然、選手交代。
打ち合わせも何もなく、いつもの「城の向かいの建物に、腹の底からコールタールのようにどす黒い市長や議会が、その特権を謳歌して居座っているからこそ、岸和田市が良くならない。 『女・子どもは黙っとれ!』の温床である地域ボス等こそ、こんなシンポジウムで発言すべきだし、それらをひっくるめて市民に内緒にしている情報をドンドン公開して、改善を図っています」とやり、司会が上甲さんだとわかったので、「阪南市議会でも庄司和雄、見本栄次(ともに自民)らのネコババ議会体質を是正しなければなりません。 上甲さん、頼んまっせ!」と、挨拶した。
 
会の役員からは「抑えて、抑えて」とか、
その後上甲さんにも「市長選で、尻込みしてたらアカンがな! 何で、維新に乗っ取られた水野謙二(現市長)や、早々に寝屋川市議選に向けてか、トンズラこいた吉羽美華氏でなく、『保育所統合など許せん!』と、立ち上がらんかったの? 保護者も当初、期待してたでしょ?」と、挨拶したら「シ~ッ!!声が大きい!!」
などとも言われつつも、何人もの参加者から挨拶や名刺交換を勧められ、会を終了したのでした。
 
 
ちなみに上甲さんについては、以下のようにこれまでも書いてきているし、彼も当然読んでいます。


それでも挨拶を交わすのは、人として当然でしょう。
岸和田市議らは、そんな人としての礼節もできないトンズラするだけの人が何人もいますが。

草の根観光会議 第4回シンポジウム 「私たちのくらし、観光でどう変わる?」

第1部 提言とパネルディスカッション
コーディネーター:
小川 雅司 氏(羽衣国際大学 現代社会学部 准教授)
パネリスト:
笹部 美千代 氏(岸和田シテイプロモーション推進協議会 会長・
株式会社ローズキャリアスタッフ 代表取締役)
射手矢 和晃 氏(Peach Aviation株式会社 広報グループ所属・
泉佐野市上之郷上村青年團 團長)
西出 真也 氏(ハウスシェアリング Zen Houseオーナー)
百武 仁志 氏(大阪観光大学 観光学部 専任講師)
常山 哲男 氏(ANT空間研究所 代表・一級建築士)

第2部 パネリストと語る分科会&親睦会 参加費1,000円

関西国際空港が開港して22年。その真価はようやく発揮され、近年目覚ましく発展しています。

その対岸に位置する南泉州地域では、ホテルが次々とオープンするなど、経済的な好影響を少しずつ感じるようになりました。
これらの変化は、私たちのくらしにどのように影響し、私たちのまちにどのような変化をもたらすのか、このような意見が交わされることも多いでしょう。
私たち地元民にとって、今ほど観光への取り組みが重要課題となっている時期はありません。
そこで今回、このような時代の流れを学ぶと共に、先駆者として活動している方々との交流の機会として、草の根観光フォーラムを開催いたします。
観光によって自らのくらしや仕事を変革したいと考えている方々の、ご参加をお待ちしています。

小川:
人口減少社会になっても、外国人韓国客を見込めば、経済効果は期待できる。

定住+交流=観光まちづくり
地域住民のストーリー、本やネットにはない隠れ家的な場所が求められる。
お土産で買ったキーホルダーは失くしてしまっても、自分で作った陶芸作品は大事にされるように、琴線に触れる思い出つくりの旅を志向すべし。
ネット通販やマーケットでも置いておらず、そこでしか買えない物こそ商品価値が上がる。

文化・歴史に合致する演出は、美しい花を自宅に持ち帰っても、土壌や環境が異なれば育たないのと同様、そこだけの特別なものとなる。
そのような観光資源は、地元では気付かれずにいるが、それを発掘し、アピールすれば、十分観光資源となりうる。


常山:
泉佐野で、古い町並みを活かした街づくりを進めています。
お店や銭湯など、地域コミュニティも活気づく取り組みを行っています。

百武:
中国共産党の歴史に関する場所を巡り、革命史や革命精神を学習・追慕する旅行「レッド・ツーリズム(紅色旅游)」に行ったりしています。
岸和田は、2014年調査の市のHPでも、住民が商業、観光に関心が薄いとデータに出ています。


射手矢:
上之郷青年団長として、保護者への喫煙や飲酒など青年団の悪いイメージの払拭を図ったり、
『ニュースせんなん』記者として、「インバウンドを学ぶ寿司屋」ンドの観光記事を書いてきました。

パネルディスカッション
① 泉州の魅力の伝え方


射手矢:
関空で外国人韓国客から、
、「温泉に入りに神戸に行く。 行き方を教えて」とよく道を尋ねられる。
多分有馬へ行かれるのでしょうが、泉州の犬鳴やいよやかといった温泉が知られていない。
地元の温泉がガイドブックやSNSで知られていないので、遠い場所に行ってしまう。

百武:
外国人留学生を上手く使って、各種外国語で発信してはどうか?


小川:
自分たちの魅力に気付いていない。


笹部:
岸和田の人は自分たちの街が好きなので、価値を知っているが、表現方法がわからない。
KCPでも発信しているが、点であり、面になっていない。
市も岸和田シティセールスをやっていたが、そのプロモーションは外部の人が制作したもので、残念な出来になっている。
地元民でないと、本当のプロモーションはできない。
「住んでいる町が良い」と、各市、各町が考えないと。


射手矢:
知る→伝える→あたためるのプロセスで。

② 観光マインドについて
西出:
(ハウスシェアリングで)受け入れ客からの感謝など、1回の成功体験で変わる。
まずやってみて、自分で体験してみること。
ハードルを上げすぎず、受け入れるだけでも良いと考える。

(たかひら注:
民泊って、許可事業なので、誰でも簡単にできることではないのですが、手続きの煩雑さなどはどう考えているのだろう、一から民泊開始の手伝いまで、無料や安価で手取り足取りしますよということか?との疑問が残った。)


小川:
地域の人が声掛け挨拶してくれる地域は、マインドが高い。


百武:
「気付き」が生活のルーティンに入っているか?
入っていれば行動ができる。

③ パネラーから会場の皆さんに助けてほしいとのお願い
常山:
空家や空地の活用要望があるなら、不動産屋でなく古い街並みの活性化をしている草の根観光会議のような組織にお知らせください。
出店要望もマッチングしていきたいと思ってます。


百武:
観光実習で留学生を連れて歩くことがあります。
10人程度のグループですが、「来るな」とか「怖い」といったイメージを持たれる方もいるので、そうではないとご近所に宣伝してください。

④ 質問
Q1 たかひら:
常山さん宛てです。
中崎町などをお示しいただきましたが、西成も含め、都会と近接で地の利があります。
また、田舎での成功事例も知っています。

ですが、着手されている泉佐野も含め、泉州地域は、地理条件も中途半端です。
開発せずに町並み保存するにしても、富田林の寺町ように地域の基本的合意ができているとは言い難い。
土地活用せずに古いままで外見は残せとか、家事など防災面からも消防車・救急車が入れないなど問題がある。

このような条件での成功例があれば教えて下さい。
それを泉佐野が真似てくれれば、貝塚、岸和田、泉大津と真似られる地域は、海岸沿いに広くあるのですが。


常山:
中崎町は成功例として示したわけではなく、防災などの面で課題はあります。
外観は変えずに耐火や耐震を行うなども必要でしょう。

残念ながらモデルはありません。

Q2
参加者:
地域外の住民や観光客と、地元の人はどう接すればいいでしょうか?


西出:
ネットでのやり取りを通じて、先ず受け入れをしてみてはいかがでしょうか?
そこからどのように接すればよいかも体験から学べると思います。

 

百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録に向けて デタラメな“仁徳天皇陵”

経済団体の催事で、世界最大の前方後円墳を見学に行った時のこと。

東西・南北4km四方内にある百舌鳥古墳群には、4世紀後半~5世紀後半に主要な古墳が造られた44基(前方後円墳12基、帆立貝型墳10基、方墳5基、円墳17基など)の古墳が残されていて、なかでも“仁徳天皇陵”は墳長486m(履中天皇陵古墳365m、ニサンザイ古墳300m)もあり、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とともに世界三大墳墓の一つに数えられている(古市古墳群は45基で、最大は15代応神天皇陵425m)。

この“仁徳天皇陵”と呼ばれている古墳だが、堺市では大仙古墳と呼んでいる。
1970年代以降の歴史学界では、『古事記』や『日本書紀』における6世紀以前の記述は、不正確な伝説であると解されているので(実在性は原則として6世紀前半に在位したとされる第26代・継体天皇から)、16代仁徳など存在しないが定説となっており、仁徳の子どもの17代履中古墳の方が古いなど突っ込みどころ満載なので、誰の墓だとかの説明はなく、ただ巨大な前方後円墳という建造物として申請している。

ゆえに、後の研究で、渡来人豪族の墓だと解明されても、何を批判されることもないとの主張。
仁徳としているのは宮内庁。

その根拠はこちら。

(引用:
しばやんの日々
2012年04月20日(金)

『古事記』の記録では、オオササギ(仁徳天皇)は丁卯の年(ひのとう:西暦427年?)8月15日に83歳で崩御したといい、毛受之耳原(もずのみみはら)に陵墓があるとされる。
『日本書紀』には、仁徳天皇は仁徳天皇87年(西暦399年)1月16日に崩御し、同年10月に百舌鳥野陵(もずののみささぎ)に葬られたとある。
平安時代の法令集である『延喜式』には、仁徳天皇の陵は「百舌鳥耳原中陵」という名前で和泉国大鳥郡にありと記述されている。
『堺鏡』(1684年(貞享元年))には当古墳が「仁徳天皇陵」であると記されており、江戸時代には既に「仁徳天皇陵」として信じられていたようだ。


 

これが世界文化遺産としてクローズアップされ、渡来人豪族の墓だと解明されると、最も困る役所である宮内庁は、「明確で科学的な証拠が出てくれば見解を変える」と言うものの、世界遺産登録に後ろ向きであるようだ。

仮に仁徳の不存在が明らかになっても、堺市は「歴史を問う申請ではないので、名称は変わるかもしれないが取消はされない。」と強気。

仁徳天皇陵に限らず、埋葬されている人物の名前が良くわかっていない古墳がなぜ多いかについて、前述「しばやんの日々」では、
その直接的原因は、江戸時代の学者の考証が正確でなかったままに明治時代に受け継がれたこと。

「さらには天皇陵についての学術的な調査を厳しく制限され、学問的に再検討することが許されないまま今日に至っているということにあるというのだが、今も宮内庁は天皇陵の発掘を許さないために、どの天皇の古墳であるかが特定できる方法がないのだそうだ。」

とする。

世界文化遺産指定は堺の商業者に儲けのチャンスのようで、私の隣席にいた経営者は「誰の墓かわからん」指摘に「どうでもええわ。儲かりさえすれば。」とつぶやいていたが、目先の銭だけを追うのが経営者なのかと呆れさせた。

「偽モノとわかれば、イメージダウンですよね? 古墳イメージで商品をつくっているのであれば、事業者もイメージダウンでしょうね。 商品作るなら、事前に研究しといた方がいいんじゃないですかね?」と話しかけると、ぶぜんとした表情で頷いていたが。

それ以外に私が気になったのは、古墳のある阪和線百舌鳥駅周辺が住宅地で、商店街となっていない事。

これでは観光客が増えてゴミや騒音などの迷惑だけが近隣住民にもたらされ、何の得もないのではないか?

周囲の住民に訊いてみても熱心に「登録を待っている」と言う人は皆無だし、他の一般堺市住民でもそんな人を知らない。

商売用に古墳の周囲の整備した三国ヶ丘へ抜ける道を、伊勢神宮のおかげ横丁のようにすれば、地域にお金が落ちるが、沿道は全て住宅であるので大規模な引っ越しなどが必要だ。

堺市は広場などを整備中で、そこに商店などを開設する計画だとするも、地域住民に何の得があるのかについては回答を避けた。

それでも“仁徳天皇陵”について、堺市の見解を聞けただけでも、生ハニワ課長を見た以上に収穫のあった催事であった。