日本国憲法制定の経緯

先ず、憲法が「押しつけ」と主張する者に問いたいのだが、1946年4月10日新選挙法による第22回衆議院議員総選挙施行までは、女性の参政権はなかったのだが、この議会が策定した立法などは「押しつけ」ではないのか?

1890年第1回選挙は高額税金を納める25歳以上の男性のみが投票(全国民の1%)、1925年には税額撤廃する(全国民の20%)も、男性のみの議会による「押しつけ立法」が続いたんだがね。

ここでの論点はもう一つ。

9条をGHQ提案したのは、幣原喜重郎首相とヒロヒト天皇だということ。

(特に9条)改憲論者は、ヒロヒト氏及び天皇家に唾する行為であると知った上で、主張するように!

「日本国憲法の誕生」なるHPがあり、そこを見ればわかるのだが、年表形式で抜粋する。

http://www.ndl.go.jp/constitution/index.html

日本国憲法制定の経緯

1945年

10月4日     近衛文麿副(東久邇宮稔彦王内閣で、副総理格の国務相)、ダグラス=マッカーサー(連合国軍最高司令官)マッカーサーと会談し、憲法改正の示唆を受ける。

10月11日     幣原喜重郎(総理)、マッカーサーを訪問し、憲法の自由主義化の示唆および人権確保の五大改革指令を受ける。

内容については、民政局(GS)スタッフのラウエル氏のレポートによれば、「(国民の人権を保護する)権利章典」、「三権分立」、「議院内閣制」、「裁判所による違憲審査権」、「地方自治」などの必要性が挙げられていた。

10月13日     佐々木惣一(元京大教授 憲法学者)、内大臣府御用掛に任命。

これは、近衛が「内大臣御用掛」として開始したものだが、内大臣主導でこうした作業が行なわれることに批判が続出し、後に頓挫する。

臨時閣議、憲法改正のための研究開始を決定(担当大臣松本)。

内大臣主導の憲法改正作業とは別の作業だが、この基本的方針も「明治憲法を温存し、若干の手直しを」という極めて不充分なものであった。
彼らは「戦時下の自由抑圧は、『統帥権独立』を悪用した軍部の暴走や、治安維持法に象徴される悪法など、憲法からの逸脱に原因がある」と主張。
しかし、こうした主張は、「軍部による政治支配」や「悪法」をチェックできなかった、それどころかこうした「悪法」が「合憲」としてまかり通るという、明治憲法の「重大な欠陥」から、目を背けるものであった。

10月25日     憲法問題調査委員会を設置。

松本委員長、「直ちに改正案の起草に当たることは考えていない」と談話。

10月29日 日本文化人連盟創立準備会の折に、高野岩三郎の提案により、民間での憲法制定の準備・研究を目的として「憲法研究会」が結成。

事務局を憲法史研究者の鈴木安蔵が担当し、他に杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵辰雄等が参加した。

11月22日     近衛、帝国憲法改正要綱を天皇に奉答。

内大臣府廃止を前に、共同作業者の佐々木惣一と意見の調整が出来ず、近衛文麿が単独で天皇に奉答したもの。

条文化せず、要綱という形でまとめられている。

明治憲法の基本的枠組みはほぼそのままながら、天皇の大権の制限や臣民の自由の尊重など、民主主義の強化とそのための天皇制の改革というGHQの憲法改正の方向性をかなり反映したものになっている。

11月24日 佐々木惣一「帝国憲法改正ノ必要」
GHQの意向を取り入れることを嫌った内大臣府御用掛佐々木惣一が、(日付は11月23日)に天皇に奉答した改正案。

憲法改正の要否の判断に始まり、全百か条からなる条文化した改正案が提示されている。

天皇に関する第1条から第4条について変更がないなど、近衛案以上に明治憲法の枠内での改正となっている。

その中で注目されるのは、生活権の規定、憲法裁判所の設置、地方自治についての項目が盛り込まれている点である。

内大臣府廃止。
憲法問題調査委、第4回総会で各委員が改正試案を起草することを申合せ。

12月8日     松本、衆議院予算委で「憲法改正四原則」表明。

1.天皇の統治権総覧の堅持、2.議会議決権の拡充、3.国務大臣の議会に対する責任の拡大、4.人民の自由・権利の保護強化の4つ。

12月19日     情報局与論調査課「憲法改正に関する世論調査報告」。

内閣情報局世論調査課が共同通信社調査部に委嘱して各府県における社会各層の意見を集めたもので、報告は総数287件に及んだ。

憲法の改正については全体の75%(216件)が必要と答えている。

その内容は天皇大権の制限、議会の権限増大が最も多く(70件)、ついで貴族院の廃止もしくは改革(57件)、民意の尊重(41件)、人民の権利の拡張・自由の保障(32件)が多かった。

改正手続きについては現行方式を可とするもの、不可とするものがおおよそ半々であった。労働者、小作農に主権在民の主張や民定憲法を求める傾向が高いことがうかがえる。

12月26日     憲法問題調査委、第6回総会で大改正・小改正の各案の作成を決定。
野村淳治顧問、意見書を提出。

「野村意見書」とも呼ばれるもの。

これは、11月24日の調査委員会第4回総会における申し合わせに基づき作成された文書であるが、提出の時期が遅れたことと内容の革新性のため、同委員会の審議の役に立たなかった。

本意見書において、野村は、デモクラシーの意義、外国の憲法制度、その沿革などに触れつつ、改正意見とその理由を詳細に論じている。

その内容は、憲法の基本原則に触れない他の委員の改正私案とは異なり、きわめて革新的で、憲法の一大改正の必要性を訴え、アメリカ型の大統領制といった政府機構の樹立や、土地や一部企業などの国有・国営化などを主張している。

憲法研究会、「憲法草案要綱」発表。

同要綱の冒頭の根本原則では、「統治権ハ国民ヨリ発ス」として天皇の統治権を否定、国民主権の原則を採用する一方、天皇は「国家的儀礼ヲ司ル」として天皇制の存続を認めた。

また人権規定においては、留保が付されることはなく、具体的な社会権、生存権が規定されている。

なお、この要綱には、GHQが強い関心を示し、通訳・翻訳部(ATIS)がこれを翻訳するとともに、民政局のラウエル中佐から参謀長あてに、その内容につき詳細な検討を加えた文書が提出されている。

また、政治顧問部のアチソンから国務長官へも報告されている。

1946年

1月4日 「松本四原則に基づく、松本私案を作成。

1月7日     松本、私案につき天皇に奏上。

1月24日     幣原、マッカーサーと会談(天皇制存続と戦争放棄に関して話合い)。

幣原、9条の原案を提言。

「戦争を世界中がしなくなるには、戦争放棄が必要」

マッカーサー「その通りだ。天皇を残すにはその方法しかない」

裏付け:憲法調査会の高柳賢三会長が、憲法の成立過程を調査するため1958年に渡米し、マッカーサーと書簡を交わした事実に着目。

高柳は「『九条は、幣原首相の先見の明と英知とステーツマンシップ(政治家の資質)を表徴する不朽の記念塔』といったマ元帥の言葉は正しい」と論文に書き残しており、幣原の発案と結論づけたとみられている。

だが、書簡に具体的に何が書かれているかは知られていなかった。

堀尾輝久・東大名誉教授は、国会図書館収蔵の憲法調査会関係資料を探索。

2016年1月に見つけた英文の書簡と調査会による和訳によると、高柳は1958年12月10日付で、マッカーサーに宛てて「幣原首相は、新憲法起草の際に戦争と武力の保持を禁止する条文をいれるように提案しましたか。それとも貴下が憲法に入れるよう勧告されたのか」と手紙を送った。

マッカーサーから15日付で返信があり、「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」と明記。

「提案に驚きましたが、わたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」と結んでいる。

2月1日 『毎日新聞』第1面に突如「憲法問題調査委員会試案」なるスクープ記事が掲載される。

これは正確には、松本委員会の内部では比較的リベラルな、いわゆる「宮沢甲案」にほぼ相当するものであった。

しかし、毎日新聞が「あまりに保守的、現状維持的」としたのをはじめ、他の各紙も、政府・松本委員会の姿勢には批判的であった。

この『毎日新聞』によるスクープ記事は、GHQが日本政府による自主的な憲法改正作業に見切りをつけ、独自の草案作成に踏み切るターニング・ポイントとなった。

2月3日 マッカーサーが、GHQ民政局長であったコートニー・ホイットニーにGHQ草案(マッカーサー草案)の起草作業を指示します。

1.「天皇は、国家の元首の地位にある」
2.「国家の主権的権利としての戦争を放棄する」
3.「日本の封建制度は、廃止される」

2月7日     松本、「憲法改正要綱」につき天皇に奏上。

          
2月8日     政府、「憲法改正要綱」と「説明書」をGHQに提出。

2月13日     ホイットニーら、「憲法改正要綱」の受取りを正式に拒否するとともに、GHQ草案を吉田外相、松本らに手交。

2月22日     閣議、GHQ草案受入れ決定。
松本・吉田茂(外務大臣)・白洲次郎(吉田に乞われ、終戦連絡中央事務局の参与として、GHQ草案の翻訳と日本政府案の作成に当たった)、GHQを訪問しホイットニーらと会見。
幣原、天皇に事情説明。

3月6日 天皇による9条発議の「官報」公布。

昨五日内閣総理大臣ヲ宮中ニ召サレ左ノ勅語ヲ下賜セラレタリ

日本国民ガ正義ノ自覚ニ依リテ進ンデ戰爭ヲ抛棄シテ 
國民ノ總意ヲ基調トシ憲法ニ根本的ノ改正ヲ加ヘ政府当局其レ克ク
朕ノ意ヲ體シ必ズ此ノ目的ヲ達成セムコトヲ期セヨ

現代語訳 
3月5日 内閣総理大臣を宮中に呼ばれて次のように天皇が詔をお伝えになりました。

日本国民が正義の自覚をよりどころとしてみずから進んで戦争を放棄して 
国民が全員一致を基本として憲法に根本的な改正を加え 政府当局はこれを念を入れて
朕(天皇)の身を以ての意向を必ずやこの目的を達成することを期待します。

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政府、「憲法改正草案要綱」発表。

3月5日案は、GHQの了解を得て、字句の整理をしたうえで、要綱の形で発表されることとなった。

要綱の作成作業は、入江俊郎法制局次長を中心に進められた。

要綱は、3月5日案の英文を基本として、その枠内で、日本文の表現を整えたものである。

4月2日 国語の平易化運動を熱心に進めていた「国民の国語運動」(代表・安藤正次博士)は、「法令の書き方についての建議」という幣原喜重郎首相あての意見書を提出した。これが主たる契機となり、GHQの了承、また、閣議の了解を得て、ひらがな口語体によって憲法改正草案を準備することとなった。

4月5日     口語化案、閣議で承認(口語化第1次案)。

口語化作業は極秘に進められ、作家の山本有三に口語化を依頼し、前文等の素案を得た。この案を参考として、実質的には、入江俊郎法制局長官、佐藤達夫法制局次長、渡辺佳英法制局事務官らの手により、第一次案が完成した。

4月10日 新選挙法による第22回衆議院議員総選挙施行(20歳以上に投票権、初めて女性に参政権)。

1890年第1回選挙は高額税金を納める25歳以上の男性のみ、1925年には税額撤廃するも、男性のみの議会による「押しつけ立法」が続いた。

4月16日 幣原首相が内奏し、法令の口語化はまず憲法について行い、憲法の成立施行後は他の法令にも及ぶことを伝えた。

4月17日     政府、「憲法改正草案」発表。

枢密院に諮詢。

5月13日     極東委員会、新憲法採択の3原則を決定(審議のための充分な時間と機会、明治憲法との法的連続性、国民の自由意思を明確に表す方法による新憲法採択)。

極東委員会は、4月10日に予定された衆議院総選挙に対しても、国民が憲法問題を考える時間がほとんどないとして、その延期を求めていた。

しかし総選挙は予定どおり実施され、きたるべき第90回帝国議会において「帝国憲法改正案」が審議されることは既定路線となっていった。

極東委員会は、帝国議会の召集が間近に迫る5月13日、「審議のための充分な時間と機会」、「明治憲法との法的持続性」および「国民の自由意思の表明」が必要であるとする「新憲法採択の諸原則」を決定した。

6月8日     枢密院本会議、天皇臨席の下で憲法改正草案を起立多数により可決(美濃部顧問官、起立せず)。

6月20日     第90回帝国議会開院式(開院式勅語、初めて口語体となる)。

「帝国憲法改正案」を衆議院に提出。

6月21日 新憲法草案審議についてのマッカーサー声明
マッカーサーは帝国議会での憲法審議に関して声明を発表し、「審議のための充分な時間と機会」、「明治憲法との法的持続性」が必要であり、新憲法が「国民の自由意思の表明」を示したものでなければならないと説いた。 

これら3つの原則は、極東委員会が5月13日に決定した「新憲法採択の諸原則」と同一内容のものであった。

とくに「国民の自由意思の表明」については、ポツダム宣言の要請するところでもあり、極東委員会がマッカーサーに対し繰り返し強調していたものでもあった。

マッカーサーはこの声明の中で、国民の自由意思による民主的な選挙を経て成立した現在の議会は、充分に民意を代表しており、憲法問題について「国民の意思を表明する資格を有する」と言明した。

6月25日     「帝国憲法改正案」を衆議院本会議に上程(本会議、28日まで)。

          
6月26日     衆議院、憲法改正第一読会。吉田、衆議院で「9条は自衛戦争も放棄」と答弁。

7月2日     極東委員会、「日本の新憲法についての基本原則」を決定(主権在民、天皇制の廃止または民主的改革、閣僚のシビリアン要件など)。

7月23日     衆議院、小委員会設置(25日から8月20日まで13回開催)。        

7月29日     小委員会で第9条のいわゆる「芦田修正」提示。

8月24日     尾崎行雄、衆議院本会議で「良い憲法を作ることは容易だが行うことは難しい」と演説。

衆議院本会議、委員会修正案のとおり「帝国憲法改正案」を修正可決、貴族院に送付。

9月24日 マッカーサーが追加要請。
15条公務員選挙についての普通選挙の保障を追加
66条第2項に「文民」規定を追加
入江俊郎(法制局長)が応諾。

10月3日  貴族院特別委、「帝国憲法改正案」修正可決(普通選挙制、両院協議会、文民条項追加)。

10月6日 貴族院本会議、委員会修正案のとおり「帝国憲法改正案」を修正可決し、衆議院に回付。
 
10月7日     衆議院、貴族院回付案を可決。

10月29日     枢密院本会議、天皇臨席の下で「修正帝国憲法改正案」を全会一致で可決(美濃部など2名欠席)。天皇、憲法改正を裁可。            
           

11月1日     マッカーサー、10月17日極東委員会決定の公表に反対の旨を回答。

極東委員会第30回会議において全会一致で承認された「新憲法の再検討に関する規定」(FEC-031/41)と、それを米国政府に伝える極東委員会事務局長の書簡、及び同封の議事録抄録。

上記会議は、極東委員会の政策として、「憲法発効後、1年を経て2年以内に」、国会と極東委員会が新憲法を再検討することを決定した。議事録抜粋には、「憲法再検討」決定について、日本国民への公表の時期と方法をめぐる意見交換がみられる。

その結果、憲法公布より早い時期には決定を公表すべきでないとの見解を持っていた米国代表の主張が通り、実際に極東委員会の決定が公表されたのは、翌年3月20日のことであった。

11月3日     日本国憲法公布。

貴族院議場で「日本国憲法公布記念式典」挙行。

「日本国憲法公布記念祝賀都民大会」開催。

1947年
1月3日 マッカーサーは、吉田首相宛書簡で、連合国は、必要であれば憲法の改正も含め、憲法を国会と日本国民の再検討に委ねる決定をした旨通知している。
これに対する吉田の返信(同月6日付)は、「手紙拝受、内容を心に留めました」というだけの短いものであった。

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アリューシャン方面の戦い 日本兵を棄民した日本国国家 それを賛美する日本会議ブログ

日本会議地方議員連盟なるネトウヨ烏合の衆のブログが、Fbを見ているとアップされてきた。
ネトウヨ友達の情報のようだ。
折角なので、ブログネタにしてあげよう。
太平洋戦争において、初めて日本国民に日本軍の敗北が発表された戦いであり、1943年(昭和18年)5月12日にアメリカ軍のアッツ島上陸によって開始された日本軍とアメリカ軍との戦闘。
山崎保代陸軍大佐の指揮する日本軍のアッツ島守備隊は上陸したアメリカ軍と17日間の激しい戦闘の末に玉砕した。
ここではアッツ島の玉砕を賛美しているが、要するに、日本兵ですら棄てたってこと。
日本軍は大半の砲を失い食料はつきかけていた。

負傷者には自決させた。
苦闘二週間余、大本営は悪化する南方戦線の戦局打開を優先すべくアッツ島を見捨てた。
防衛省に保管されていたアリューシャン作戦記録の中に守備隊に届いた事実上の玉砕命令電文の内容が記されていた。
「最後にいたらば潔く玉砕し、皇国軍人精神の成果を発揮することを望む」
陸軍の幹部が記していた内部資料「アッツ島報道方針」には、
「戦意の高揚を図り、戦陣訓を一般に理解させる。 山崎大佐はもとより、全将兵の勇戦をたたえ、統率に疑惑を抱かせないようにする」
とある。
こんな兵法無視のアホ作戦を、
アッツ守備隊玉砕の報告は5月30日に昭和天皇に伝えられた。
森山康平によれば、その際に次のようなエピソードがあったとされる。

昭和天皇は報告をした杉山元参謀総長へ「最後まで良くやった。このことを伝えよ」と命令した。

杉山はすかさず「玉砕して打電しても受け手が居ない」と言った。これに対して昭和天皇は「それでもよいから電波を出してやれ」と返答された。
などといった回線責任者の美談仕立てで〆られては、行かされた日本兵は、死んでも死に切れん。

昭和18年(1943年) – 大東亜戦争・アリューシャン方面の戦い: アッツ島の戦いが始まる。
日本会議地方議員連盟 2017/05/12 Fri 07:04
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-4858.html

より
昭和17年6月、ミッドウェイ作戦に呼応して哨戒線の前身、米ソの連絡遮断、敵の航空基地の利用阻止などを目的として、陸軍北海支隊と海軍北方部隊との協同によるアリューシャン列島のアッツ島とキスカ島の占領が敢行された。
しかし、ミッドウェイ作戦の失敗によってアリューシャン列島の戦略的な価値は無くなり、しかも米軍が反攻の兆しを見せ始めたにも係わらず、大本営は何等の対策をも講じ様とはしなかった。
昭和18年5月12日、米軍は戦艦3、空母1、重巡3、軽巡3、駆逐艦12という艦隊支援のもとに、第七師団1万1千人がアッツ島に上陸を開始。
孤立した離島に敵の大群を迎え撃つ日本軍は山崎保代陸軍大佐以下二千四百名、全員が死を決意し凄まじい戦いを繰り広げた。
腹立たしいので、この辺で引用をやめる。
つづきを読むなら、リンク先へ。

教育勅語カルトにお伝えする言葉

・あんた方が、(勅語の引用元)儒教マニアの中国シンパだって、言わなくともわかってます。
そうでない?
あんたらは、日本の古典やら和語でなく、漢語や儒教ルーツのものばかりを恭しく祀りたがってるけど、どういうこと?
祖先崇拝だとか仏壇だとか位牌だとかも儒教ベースで、道元式仏教であって、釈迦・南方仏教ではないよ。
 
・中身はわかってんだろうね? 解説書『勅語衍義』って出てるんだけど、読んだ?
 
・教育勅語発行の4年後の文相になった西園寺公望は、
勅語の価値観を「文明の進歩に少なからず障害を与える。皆さんは注意し、古く偏った考えを打破し、世界の文明に合わせた教育を進め……」(1895年4月、東京高等師範学校での訓示)と批判し、
「女子教育を充実させ……外国人に親切に」などと書き込んだ「第2次教育勅語」の草案を書いている。
 
しかも、明治天皇自身が西園寺の指摘を受け入れ、草案の起草を命じてる(改定前に西園寺が病気になって改定できず)んだけど、まさかこの改定前の勅語を礼賛してないよね?
 

改定前勅語(いまあるやつね)の礼賛は、明治天皇の意思に背くことになっとるよん。

 
趙博さんのコメント
あのな、何度でも言うたるけどな、『教育勅語にもええこと書いてある』と言うてるボケども、よう読めよ。
そう、『教育勅語』にもええこと書いてあるねん。その通り!
親孝行せぇとか、みな仲良うせぇ、義務を果たせ、とかね。
ほんでな、そいういう「ええこと」は、古今東西、人間の歴史あるところ、そこかしこに(どこでも・いつでも)書いてあるし、言われてきてん。
お前らアホやから知らんやろうけど、ハムラビ法典にも、旧約聖書にも、コーランにも、阿弥陀経にも、皇国臣民の誓詞にも、毛沢東語録にも、法華経にも、女大学にも、歎異抄にも、軍人勅諭にも、アメリカ合衆国憲法にも、マグナカルタにも、共産党宣言にも、山口組綱領にも、モルモン教信仰箇条にも、大本教の教えにも、蓮如の御文にも、文部科学省の指導要録にも、町内の掲示板にも、JRのポスターにも、公共広告機構のCMにも…等々、∞ ∞∞、「ええこと」は書かれてある、あるいは言われてんねん。
これを「道徳律」あるいは「徳目」と言うの。
因みに「道徳の黄金律」って知ってるか?
「盗むな・殺すな・嘘つくな」やねんけどね。こういうことを「歴史貫通的」と言うの。

さて、『教育勅語にもええこと書いてある』として、明治天皇が臣民に下し賜えた勅語を肯定・賞賛・礼賛するのは、その御稜威(お前ら、読めるか?)を称えてるわけや。
せやろ、ちゃうか?
勅語の持つ教育力は絶大やった。
その国家主義的強制力を、お前らは褒め称えているわけや。
やんな。
明治23年から昭和20年にいたる半世紀以上の期間、教育勅語は大日本帝国臣民の教育的支柱であり、精神的模範やってん。
解りやすく言うたら「大和魂」の素は、お前らが大好きな『教育勅語』や。
日本の軍国主義の基礎であった勅語が絶大な威力を発揮した時代があった。
これを「歴史規定的」と言うの。
ほんでな「歴史規定的」やからこそ、戦争に負けて勅語は廃止・破棄されてん。衆参両院で、その謄本すら回収する と決議されたの。
国家意志として、「歴史規定的」な勅語の時代は終焉してん。
わかるか?
「歴史貫通的」なものは、人間が人間である限り、社会が社会であるかぎり、否定されることはないねん。
せやろ?
教育勅語は「歴史規定的」な文言やったからこそ、否定され得てん。

ほんで、こっからがオッチャンの説教や。
ええか、『教育勅語にもええこと書いてある』と言うてるボケどもよ。
お前らな、教育勅語の「歴史貫通性」を証明してみぃ。
ほんだら、オッチャンも『教育勅語にもええこと書いてある』と認めたるわ。
できもせんくせ(実はできない、絶対に)に、真理を体現したようなツラさらすなよ。
その前にな、お前らもっと勉強せぇ~よ。中一程度の学習内容でええから、ドタマをもうちょっと鍛えてからモノ言いや。
それが「大人」や。

You should know better.
☆御名御璽☆
p.s. ネトリベ諸君も、ね(笑)。
 
更に趙博さんの追記
三島由紀夫『英霊の聲』、中野重治『五勺の酒』この二作品にヒントがいっぱい詰まっていると思います。思想的立場を全く異にする2人の作家が、天皇(制)を如何に描いたか、今こそ議論の対象とすべきでしょうね。
教育勅語てなもんは、全く以って低次元な代物なんですよ、実は。
4.11 追記:
では、
もろだし学園が運営する塚本幼稚園(大阪市)で、首相夫人の安倍昭恵氏が名誉会長を勤める「鈴蘭会」(福岡市)が販売した教材が使われていたことが明らかになった。
同会の広報担当者が3月2日、ハフィントンポストの取材に対して認めた。

鈴蘭会は、中国の古典「四書五経」などを読み上げる「素読(そどく)」を普及させるために2009年に誕生。

安倍昭恵氏が当初から名誉会長を務めている。
2014年、塚本幼稚園に対して「大学 -素読-」のテキスト200冊を計10万円で販売していた。
とある。
ここでも重用されているのは、中国古典だ。
更に昭恵氏つながりで言えば、
彼女は、森永砒素ミルク事件の森永=
砒素混入のミルクで中毒症状(神経障害、臓器障害など、少なくとも1万2344人(うち死亡者130名)の赤ちゃんの被害者をつくった企業の社長御令嬢です。
しかも悪いことに森永は裁判でも砒素混入は砒素を持ち込んだ下請け会社の責任を主張し、自ら赤ちゃんを殺した責任を一切否認し続けた。

森永側が原因をミルク中のヒ素化合物と認めたのは、発生から15年経過した1970年の民事裁判中のことである。
その際、森永側は、第二燐酸ソーダの納入業者を信用していたので、自分たちに注意義務はないと主張していた(工業用第二燐酸ソーダの納入業者は「まさか食品に工業用の薬品を使用するとは思わなかった」と証言)。

森永に救いの部分があるとすれば、公害病はあまたあれど、公害被害者救済方式として、三者会談方式による救済事業を行っているのは森永だけで、このような不完全な救済が日本では最高とされていることも忘れてはならない。

同様の食品公害であるカネミ油では、1万4千人の申告に対し、認定患者は2千人もおらず、今では患者の子や孫もいるが、自身が患者の子孫だと知らされておらず、救済の声もあげれずに苦しんでいる人も多数いると予想される。

参考:

特集ワイド

2017年3月28日  毎日新聞 東京夕刊  【吉井理記】
より
「皇国史観」と「国家への服従」思想 明治期、「古くて偏向」と改定の動き 戦時期には「玉砕」を助長
 まず教育勅語を読んでみよう。戦前・戦中は小学校令などでは勅語の写し(謄本)に最敬礼するのが義務だったが、今は平成の世である。落ち着いて読んでほしい。
 教育勅語は、1890年に明治天皇が国民に与えた。
戦前教育のベースとされたが、敗戦後の1948年に「主権在君や神話的国体観に基づき、基本的人権を損なう」などとして、戦後の選挙で国民が選んだ衆参両院の議員が議論し、排除・失効を決議した。
 その教育勅語、森友学園の人々だけでなく、稲田氏も「教育勅語の核は取り戻すべきだ」(3月8日、参院予算委員会)と評価した。安倍首相自身、排除された経緯に触れながらも「『夫婦は温かい家庭を築き……』など大変素晴らしい理念が書いてある」(2006年6月2日、衆院教育基本法特別委)と褒めているし、閣僚の多くが関わる保守団体「日本会議」の小堀桂一郎副会長は「教育勅語を復活すべきだ」(月刊誌「正論」03年11月号)と訴えるのだ。
 だが、以下の事実を知っても、彼らの認識は「素晴らしい」と思えるだろうか?
 「教育勅語は、明治期ですら政府内で内容が問題視され、改定が議論された。それを今に至って政治家が称賛するとは……」と絶句するのは、日本教育史が専門の日本大教授、小野雅章さんである。
 実際、教育勅語が出た4年後に文相になった西園寺公望は、勅語の価値観を「文明の進歩に少なからず障害を与える。皆さんは注意し、古く偏った考えを打破し、世界の文明に合わせた教育を進め……」(1895年4月、東京高等師範学校での訓示)と批判し、「女子教育を充実させ……外国人に親切に」などと書き込んだ「第2次教育勅語」の草案を書いた。
 驚くことに、明治天皇自身が西園寺の指摘を受け入れ、草案の起草を命じたという。
しかし西園寺の病気で実現しなかった(文相参事官を務めた竹越与三郎著「西園寺公」1947年)。
 小野さんが解説する。「西園寺の懸念は勅語にある『皇祖皇宗、国を肇(はじ)むること……』ににじむ皇国史観が『日本は特別な国だ』という内向き思考を招き、国際協調に悪影響を与える、ということです。教育勅語は数年で改定が議論される程度のものでしたが、天皇の権威が確立し、天皇の言葉の改定・撤回はありえない状況になりました」
 では内容はどうか。安倍首相いわく「大変素晴らしい」ものらしいが……。
 調べると、教育勅語が出た翌年、1891年に出版された解説書「勅語衍義(えんぎ)」に行き着いた。勅語の読み方を詳述したものだ。
 ただの解説書ではない。
宮内省帝室編修官を務めた渡辺幾治郎の「教育勅語渙発(かんぱつ)の由来」(1935年)などによると、明治天皇の命で時の文相・芳川顕正が哲学者・井上哲次郎に書かせた。
私著として出版されたが、明治天皇も「天覧」し、教育勅語が国民に何を求めているかを説明した事実上の「公式教科書」として扱われた。
 何を求めているか。例えば「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」(国家に事変があれば、勇気を奮い一身をささげて皇室国家のために尽くすべし=尋常小学修身書)の項だ。
 「(臣民は)ただただ徴兵の発令に従いて己の義務を尽くすを要す……真正の男子にありては、国家のために死するより愉快なることなかるべきなり」。
もう、訳する必要もあるまい。
 「爾(なんじ)臣民父母に孝に」の項は「一国は一家を広げたもので、君主が臣民に命じることは一家の父母が子らに言いつけることと同じだ」、「以(もっ)て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし」(かくして天地とともにきわまりなき皇位のご盛運を助け奉るべきなり=同)も「臣民は君主の意を体し、逆らってはならない。服従は臣民の美徳である」など、あらゆる場面で「天皇主権」が強調される。
明治政府が勅語を通じて国民に求めたものを、現代ではどう感じるか。
 政治思想史に詳しい放送大教授の原武史さんは「現憲法の国民主権、基本的人権の尊重と正反対の内容です。『良いことも書いてある』と評価する人は、一体どういう読み方をしているのか」とあきれるのだ。
 なぜなら「父母に孝に……」などの「徳目」が並ぶ一文は「以て天壌無窮の……」で結ばれる。「つまり『良いこと』のように並ぶ徳目は、すべて皇室を支えるために臣民に課す、という位置づけです。戦前の小学校でも、これが教育勅語の核と教えられた。一部を切り出し、全体を評価することはできません」と解説する。
 元文部科学相の下村博文氏も14年4月に「内容はまっとうだが、昭和期に誤った使われ方をした」と述べたが、原さんは「確かに小学校で暗唱が課されたが、昭和期に語句が変わったわけではない。最初から問題のある思想を内包していた」と両断した。
 憲法学の専門家の意見を聞いてみたい。早稲田大教授の水島朝穂さんだ。
普段は温厚なのに本気で怒っていた。
 「戦前は学校の『奉安殿』に教育勅語の写しと天皇、皇后の写真が保管された。文部省学校防空指針では人命より重視され、空襲時に持ち出そうとして焼け死ぬ校長も相次いだのです。子供も勅語で『皇室国家に命をささげよ』と教えられ、兵士となって戦場では降伏せずに玉砕した。その勅語の称賛は、不見識を越えて不届き至極です」
 現憲法の精神に反する教育勅語をたたえる国会議員は、公務員に課された憲法尊重擁護義務から見ても不適格だ、と怒りが収まらない。
 「歴史修正主義者は、枝葉を否定して全体をも否定しようとします。日本でも戦前・戦中の歴史で同じような議論がありますね。逆に教育勅語では、枝葉を肯定することで全体をも肯定する。勅語肯定論と歴史修正主義は裏表の関係なのかもしれません」
 前出の原さんはこんな危惧を抱く。
「来年は『明治維新150年』です。明治天皇の言葉である教育勅語を再評価する可能性もある。結局、私たちが歴史を見る目を養うほかはないんです」
 個人の考えは自由である。だが閣僚や国会議員の歴史観や思想は注視すべきだろう。
教育勅語が人々を縛った時代の再来を防ぐためにも。

「日本の歴史文化研究会」報告5 参考図書 タマゲルしかない参考図書

事実から見れば、訂正づくめのこの集会、石本秀雄・副会長が「参考図書」として沢山の本を列挙していたので紹介しておきます。

さんざっぱら集会では熊谷氏が「歴史研究者に任せる」と言っていたのに、ここの資料で著者が歴史学者のものはありあません。

石本さんも「歴史学者じゃなくても真実は示されている!」と言えばいいのに、そんな反論は一切なかった。

笠原十九司、吉見義明、林博史、藤原彰、吉田裕、澤地久枝などとまで言わずとも、秦郁彦、半藤一利、保阪正康、松本健一氏らすらも列挙されていないが、同じ月刊本やムックなら『ムー』でも読んどいたほうがいいんじゃないの?

これらの「参考図書」の訂正程度なら、私でもできるんじゃないかと思っているので、着手金前払いで依頼あれば引き受けるので、連絡下さいね。

・月刊『正論』

・アメリカはなぜ日本を見下すのか? – 間違いだらけの「対日歴史観」を正す – (ワニブックスPLUS新書)   2016/8/24
ジェイソン=モーガン

・慟哭の通州――昭和十二年夏の虐殺事件 飛鳥新社 2016/10/6
加藤康男

・アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄 (祥伝社新書)  2016/9/2
江崎 道朗

・日米開戦 陸軍の勝算 (祥伝社新書)  2015/8/1
林 千勝

・大東亜戦争秘録 日本軍はこんなに強かった! 双葉社 2016/8/10
井上 和彦

・日本人が知らない最先端の「世界史」 祥伝社 2016/6/30
福井義高

・満洲国建国の正当性を弁護する 草思社 2016/6/29
ジョージ・ブロンソン リー (著), George Bronson Rea (原著), 田中 秀雄 (翻訳)

・通州事件 目撃者の証言 (自由社ブックレット5)  2016/8/7
藤岡 信勝
・「南京」斬り 「大虐殺」は?介石と中共の〝国共合作〟―ウソと実像を見極める― (別冊正論26) 日本工業新聞社ムック  2016/3/22
産経新聞社 別冊正論編集部 (編集)
・英国人ジャーナリストが見た現代日本史の真実 ~日本は世界の宝である~ アイバス出版 2016/2/29
ヘンリー・S・ストークス (著), 藤田裕行 (翻訳)
・アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ 「日米近現代史」から戦争と革命の20世紀を総括する ベストセラーズ 2015/10/9
馬渕 睦夫
・大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 (自由選書)  1987/1
三田村 武夫

・大東亜戦争への道 展転社 1990/12
中村 粲

・日中戦争の真実 (幻冬舎ルネッサンス新書)2015/8/5
黒田 紘一

・中国の戦争宣伝の内幕―日中戦争の真実 芙蓉書房出版 2009/11
フレデリック・ヴィンセント ウイリアムズ (著), Frederic Vincent Williams (原著), 田中 秀雄 (翻訳)
・戦争を仕掛けた中国になぜ謝らなければならないのだ! ―日中戦争は中国が起こした― (自由社ブックレット3) 単行本(ソフトカバー)  2015/11/7
茂木弘道
・大東亜戦争と本土決戦の真実 並木書房 2015/7/6
家村 和幸
・英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄(祥伝社新書)2013/12/2
ヘンリー・S・ストークス
・常識から疑え! 山川日本史 近現代史編 上 「アカ」でさえない「バカ」なカリスマ教科書 (Knock‐the‐knowing) ヒカルランド 2013/12/30
倉山 満 (著)
・黄文雄の近現代史集中講座 台湾・朝鮮・満州編 徳間書店 2009/12/22
黄文雄

「日本の歴史文化研究会」報告4 会場からの質問2

一つ一つの事象についてお答えできる立場にない。

日本の被害や逆方向が教えられている例もた沢山あり、歴史学者の資料をどう判断し、教科書に載せるかだ。

 

慰安婦を並べて撃ち殺す韓国映画を日本でも上映する。

それは嘘だと言わねばなりません。

メディアはそれを利用しますから。

中国人を旅順で1万8千人殺したというのも外国通信員の捏造です。

 

NHKでも『坂の上の雲』で、旅順で一般の中国人殺しや嫌がらせのシーンがあります。

メディアチェックをかなり厳しくやる必要がある。

 

官僚は自ら新しいことはしない。

何もしなければ近隣諸国条項は守られる。

河野談話を外務省は「謝った」とし、「そんな事はなかった」とは言わない。

近隣諸国条項と河野談話を撤廃するしかない。

 

モリワキ:

ここはパネリストの発言をどう考え、子どもの教育にどう役立てるかを考える場です。

結論を押し付けようとは思っていません。

教育に任せるだけではダメです。

言うべきことは言わないと。

どうぞ“お問合せ”をして下さい。

そうすればより良き教育に向かうのではないでしょうか?

 

 

閉会挨拶 熊谷:

皆様の熱意は感じます。

よく勉強なさっています。

 

子どもたちに、どう何を教えるのかは大事です。

偏った教科書を進学校で使っていても心配することはありません。

生徒は賢いので鵜呑みにはしません。

 

私学の教員のネットワークで「これが良いよ」と口コミがあります。

教科書会社や学校にも意見を言ってください。

校長が一番嫌なのが、保護者からのクレームです。

「事実に反するのではないか?」と、教員も知らないので、皆さんのような浴ご存知の方が教えてあげて。

 

天皇陛下のベトナム訪問が、なぜトップニュースにならないのでしょう?

日本外交で最も大事なニュースを森友の後にするのはとんでもない事こと!

色んな想いを色んな所にぶつけて下さい!

 

たかひら注:

天皇が政治的行為をしたらアカンがな。

憲法第4条 「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」を知らんんかいな?

 

森友の後って、あんたらが当初そこの娘を呼んでたんやないかい!!

 

やっと終了です。

 

懇親会に行ったろうかとも思いましたが、この文字起こしも含め、仕事が山積していたので、これ以上時間を無駄にしてる場合やないと考え、その場を後にしました。

 

アンケートも提出し、その際「なおちゃん来とったね。 議員は寺前尊文(維新)芦屋市以外に 誰が来とったの?」などと確認しようとするもなおちゃんについては「先程までおられましたよ」としたものの、

議員については「どなたか存じないんです」との返答。

 

おいおい、獅子座なお氏を知らんでもええけど、地元らしき議員を知らんのはアカンやろ?!

 

ほんで、何や“お問合せ”って?

素直に「圧力かけて忖度させんかい!」と言いなさい。

 

編集後記:

この集会の話を市民運動で参加者とやり取りした時の会話。

 

私が「デモは晴れの日で、ケの日としての実務をやれ!」と市民運動者らに言っている意味がお分かりいただけたかと思います。 

日本会議系は、こうして地道に運動しています。 

で、議会のヒノマル率が近年大幅アップしました。 

 

リベラルが巻き返した話とか、議場ヒノマルに抵抗した話も聞きません。 

どうか、この動きを実際に日本会議集会に参加して監視するようお伝え下さい。

 

X氏:
左翼の市民運動家はプライド高くて、自分たちのやり方を変えようとしません仲間でぐるぐるお客さんを移動させているだけです。

 

 

たかひら:

確かににねぇ・・・

娯楽と間違うとるんちゃうかとあきれてますわ。

「日本の歴史文化研究会」報告4 会場からの質問1

Q. 66歳男性より

教科書展示会を毎年みてきた。

最悪なのは、本日のサンプルで展示されている東京書籍と日本文教出版。

馳問題もあるが、先行きはどうか?

たかひら注:

登壇者に輪をかけて、質問主が何を言いたいのかわからない。

教科書展示会については、各市町村で6月半ばに2週間ほど行われている展示会を指す。

 

馳賄賂問題とは、自民党の招致推進本部長だった馳さんが、東京五輪・パラリンピック招致に絡み、招致委員会が2013年に国際オリンピック委員会(IOC)メンバーへの賄賂として、シンガポールのコンサルタント会社に約2億3千万円を支払ったとの2016517日報道を言う。

それよりも38日に大阪市教育委員会が昨年の教科書採択で行った無記名アンケートに育鵬社(東京)の社員が強くかかわっていたとする問題で、馳さんは「育鵬社には猛省を促したい」と反省をもとめるとともに、事実関係について大阪市教委から協力要請があれば、育鵬社に対する事実関係の確認など必要な対応をとる」と答えた方があなた方にっては問題じゃないのか?

 

賄賂と教科書採択や内容変更などとどんな関係があるんかね?

 

当時、馳さんは文部官僚に「大阪市と横浜市は問題だ」って漏らしてたようだし。

で、さすがに司会も「質問なのか?」「意見なのか?」と言い出す。)

 

モリワキ:

質問の意味が不明なので、本人に話してもらいます。

 

本人:

執筆者の考えが間違っている。

賄賂問題もあり、変えるのが進まない。

 

. 出版社は売れれば変わります。

選択については学び舎が注目されているが、わかりにくい。

灘や開成など進学校で採用されている。

教師間の口コミで広がっているようだ。

私立の採択は校長がし、公立は教委がする。

教委がしっかり方針を打ち出せば、そういうつくりになる。

市民の意思を市政に反映させるよう、議会で教科書議論をしっかりしていただくのが重要。

たかひら注:

学び舎については、このような報道を指すのだろう。

灘、筑駒、麻布など有名校がなぜ? 唯一慰安婦記述の中学歴史教科書「学び舎」、30校超で採択 – 産経ニュース 

2016.3.19 05:00

http://www.sankei.com/life/news/160319/lif1603190015-n1.html 

 

 

. 49歳男性 学び舎の教科書は偏っている。

聖徳太子の名前が厩戸皇子に変わったのも近隣諸国条項によるものか?

国の関与が公教育に必要ではないか?

 

. 熊谷:

検定を通りさせすれば、学校はどれを使ってもいいんです。

現在の教科書検定は、役人の考え方をそれなりに反映しているように思える。

つくる会、自由社等これまでにない考え方が出てきたので反対すると。

真ん中と言っても東京書籍のように左だが。

そうでしょう?

 

 

Q. 学び舎には南京事件があったと記載されている。

他はバラエティに富んでいる。記述があったりなかったり。

 

A. 稲岡:

南京事件はなかった。

自由社は歴史事実でないとして記述をはずした。

それに検定意見があったかどうか不明。

藤岡信勝氏が「通州事件を載せて」と言っていたが、それは載っている。

 

東京裁判については色々な意見があるとしている。

定説がない場合、「政府見解を書け」と検定意見ではなっている。

これは竹島などで効果があったが。

このように選択の幅は広がっている。

 

Q. 40代女性 教科書会社への指摘は個人でも効果があるか?

アイヌ、沖縄の嘘、国語でも日本人が悪いと記述があるが。

 

A. 水谷:

教科書会社へ電話は敷居が高くありませんので、是非よろしくお願いします。

南京事件は論争中で、片方だけ載せるのは偏っているのではないかと言うと、近江学園が使っている浜島書店は、松井岩根の入場写真を使っていたが、南京大虐殺→事件に変わった。

 

教科書はどこからも文句が出ないように作っている。

親玉は山川。

受験会のバイブルです。

 

近現代史はここ20年でガラッと変わっている。

育鵬社で執筆している伊藤隆・東京大学名誉教授の弟子が加藤洋子です。

2003年ごろから各社カラー刷りになりましたが、彼女は南京大虐殺の死者を40~50万人と書いていた。

電話しても取り合ってもらえなかったが、次年度より30万人になっていた。

たかひら注:

彼女が書いた山川出版社2003版では「犠牲者数を数万人〜40万人に及ぶ説がある」としていたが、その後「多数の中国人」と変更している。

 

ちなみに安倍晋三首相は2015129日の衆院予算委員会で、米国の公立学校で採用されている歴史教科書に、南京大虐殺で40万人が死亡したと記載されていると指摘し、歴史を歪曲しているとした。)

 

教科書会社間で情報共有されるので、「証拠を出せ」、あるいは「両論併記としろ」と伝えてください。

質問の形や教員に対して声をあげて。

生徒は教科書記述が間違っていると理解するが、教員間での理解が進んでいない。

保護者に言われるのが学校は一番弱いので。

 

一色:

私も山川に間違いを指摘しました。

メールを出すと、「来年より改める」と返事がきました。

 

モリワキ:

教科書会社に文句をつけるのは何事かと思うでしょうが、“お問い合わせ”を。

 

水谷:

自分も授業に携わっているが、山川を使わざるを得ないので、教科書を使わずやっています。

生徒のアンケートでは「何が正しいかなど絶対はない」、「水谷先生の授業を受けて考え方が180°変わった」とあります。

自分で考えて判断する力が身につきます。

「日本の歴史文化研究会」報告4 パネルディスカッション2

石本:

子どもたちにとって楽しみは誕生日。

建国記念日、日本の生まれた歴史がどう記述されているか?

たかひら注:

この登壇者らは揃って「建国記念日」と言い、「の」を略している。

1966年の制定以来、「の」なし表記などないのだが。

「の」がなぜ入っているかと言えば、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事実そのものを記念する日だからであり、神武天皇が即位した日=紀元節自体を事実でないと主張したいんかいね、この御仁らは?

まさか史実だと言いたいのかね?

学説で分かれているのも10代か15代かなんだけれども、神武天皇の存在を証明してからにすればどうだい?

 

一色:

神話をちゃんと書いている教科書がない。

原人→奴国の金印→邪馬台国・卑弥呼の金印→大和朝廷と飛んでいて、それがいつできたかよくわからない。

 

熊谷:

私は近代史専門で古代史は詳しくないが・・・

韓国は男根神話で、神話を本当の事として熊と女性の話を本当としている。

たかひら注:

男根神話って、日本でもどれだけの神社にペニスが祭られているのか知らんのかね?)

 

北朝鮮は、紀元前二千何百万年の遺跡が出たと教科書にある。

 

それぞれ自分たちの伝承を組み合わせている。

日本でもそうすべき。

 

水谷:

GHQから日本に誇りを持たせる神話をダメとされている。

未曽有の好景気なので神武景気と名付けられていると生徒に話している。

 

歴史は共同幻想で、織田信長を誰も見ていないのに、存在は信じているでしょ?

誰か見た人いますか?

このように資料を総合して存在確認を信じている。

ルーツもどっちを信じるかの次元。

教科書で、自分のご先祖様を神様か猿のどちらと教えたいか?

米のダーウィン進化論を教えないのと同じ。

たかひら注:

米で教えないのは、宗教的側面と進化論の複雑さ、「環境に最も適応した者だけが生き残る」という残忍考え方が子どもにはそぐわないとされているからだ。

日本でもキッチリと教えられているわけではないので、比較材料には不適当ではないのか?)

 

 

モリワキ:

私は昭和37年生まれで、古事記、日本書紀で学び、建国記念を祝おうとしているが、国旗を揚げている家は少ない。

立てるための金具もない。

 

稲岡

戦後、神話教育をしていないし、僕もわからない。

世界史ではギリシア神話を前提として理解を進めている。

神話は歴史学では証明できないので排除されていった。

 

「魏志倭人伝」はええ加減らしいが、あそこから物証は始まっている。

 

国旗を父は揚げていたが、今では揚げていない。

私は昭和22年生まれだが、神話教育を受けていないので、そのままズルズルと揚げていない。

ぜひ国旗を揚げる要求を日本の誇りの観点からしていくのが必要。

 

熊谷:

昭和53年以前、古代についても日本が朝鮮南部方面に何らかの影響があったのではないかとは、かなり確実性が高いと言われていたが、今後、研究者が明らかにしていくのではないか?

だが、研究者の8割は近代史。

日本の物が南朝鮮に収められている。

出土した高野槙という権力者の象徴の棺は、日本にしかない。

どなたかが解明していただきたい。

たかひら注:

想像力欠如の熊谷氏代わりに説明しておく。

19717月、韓国宋里山古墳群で発見された百済王朝25代武寧王の陵墓木棺が高野槙だったとの話を指すのだろう。

確かに高野槙は、分布地域が日本列島南部地域に限定される日本特産の樹種で大変貴重で、しかも大木となると日本でも王族階級のものだけしか使用できなかったともいわれている。

これが輸出された経緯は、明仁氏がカミングアウトしているように、桓武天皇武寧王の子孫だといわれ、武寧王自身も日本生まれいう説がある人物<日本書紀、雄略天皇五年に嶋君こと斯麻王の記述より>であることから、この王に(ゆかり)の日本の王族が、遠く離れた朝鮮半島の王の故郷へ、故あってコウヤマキの木棺(あるいは原木素材)を送りつけたものであろうと想像できる。

 

参考:『海で結ばれた人々』門田誠一著、大阪府立狭山池博物館資料など

http://www.yasaka.org/KOBO/hitsugi.html

 

 

長い。

ここまでが彼らの内輪話であり、会場からの質問はここから始まるのだ。

いかに会場質問を受け付けたくないかがよくわかる構図となっている。