これまでも西田武史氏を市長候補として引っ張り出し、市議のまま置いておいて、「税金ネコババでおなじみ、西田市議でございま~す!」と、岸和田中で私に宣伝されたのに、自らは私のインタビューに能面ヅラを披露して無言の行であった、京西且哲・市議。
西田市長の暁には、京西副市長との約束であったものが、夢は2度敗れる結果となってしまう。
これは、京西後援会の重鎮として重用し続けた上田末男氏が、2015年の脅迫事件で表沙汰になると、京西氏自身もその脅迫現場に同席していたことが公になると困ると思ったのだろう、アッサリ首を切ったことで、人集めが困難になり、グランドホールの京西新年会も取りやめざるを得ないほど選挙の弱さが露呈してしまうのが目に見え、
「なんとか選挙のない世界で甘い汁を吸い続けたい」との欲情にまみれる京西氏のヒトとしての性(さが)が、西田一座結成、包帯グルグル巻きにされた過去を忘却してでも日田チンへの忠誠を誓うとの土下座以下の靴裏舐め太郎としての生き方で恥をさらすしかないとの、中山太郎オヤジの名簿ドロたる京西元第1秘書の晴れ姿の末路である。
婚家に向かった娘の披露宴で、是非とも花嫁の父として、西田氏の心を病院送りにするほど打ち砕いたひどい仕打ちや、前述の意地汚い京西氏の姿を、私は披瀝してさしあげたかったところだが、披露宴に呼ばれることもなかったので、せめて娘夫婦が読者として生涯読み続けられるように、また、政治家としてダークサイドの本家本元ぶりを岸和田市民に知ってもらうためにも、ここに残しておきたい。
さて、そんな天国でも舌を抜かれかねない京西氏は、次の選挙したくない、又は楽な選挙したい作戦を考えついた。
それが、「そうだ!府議になろう!」作戦だ。
これは、自民どころか維新からも忌み嫌われ続けた京西・元秘書にとって、南大阪における自民と維新の合作を具現化する、会心の一撃となる。
その手口はこうだ。
現在3月議会で絶賛モメモメ中の議員定数削減について、京西氏は、削減の立場である。
なぜか?
それこそが維新摺りよりの見え透いた手口となっている。
私が議会に突きつけた賛否の公表が、遅まきながら2017年12月議会から始まっており、これを逆手に取る作戦とも言えよう。
議員定数削減は、税金ネコババのみならず、詐欺に痴漢といった犯罪者集団維新のたった一つの口癖だ。
岸和田市議会では、市長選挙を体調不良から出馬取りやめして、永野応援団となった吉野連合町会長が言い続け、議会は一蹴し続けてきたが、永野市長応援ありがとうセールとしてこれまでの幹事長会議でなく、表に出して決を採ることにしたこの削減案。
次が危ない京西氏にしてみれば、賛成できるはずもない議案になぜ賛成できるのか?
それこそが、府議転身である。
最近、自民岸和田支部では、京西氏を自民推薦候補とする正式決定を出している。
まさに
鳥居弘司・自民岸和田支部支部長や日田孝志・組織部長による支部の私物化によってのみ、なし得られた決定で、これには議員定数削減賛成の烏野隆生(自民)市議も強く反対している。
既に支部はチームヤノに牛耳られており、西大路ゴールデンロードの手に掌握されてしまっている状態の中、この輝ける経歴の持ち主たる京西府議誕生となれば、自民府連でも岸和田市は総スカンを食うおそれがある。
「さぁ、ゲームの始まりです」などと、酒鬼薔薇な支部役員に寝言をこかせている場合ではない。
2019年統一選挙前半戦の府議選、岸和田選挙区(定数2)では、永野耕平(維新)府議の本人もまさか勝つとは!な市長への転身によって、垣見太志郎(公明)府議以外のもう1名に誰が滑り込むのか?
維新が抜けた穴は維新でと、維新信者らは思っていようが、タマはどうするのか?
市長選挙出馬も取り沙汰された、前田市議を繰り上げさせれば、補欠選挙とは言え、2万6千票もとっておきながら、宇野市議と「金子を落とすために維新から出馬する!」と鼻息荒い渋谷和則氏しか出せないのかと、信者が突き上げよう(実際、維新にそのような票数の力はないと、冷静な維新支持者は思っていないが)。
そこで前田市議が府議転身したとて、市民の選択肢は、京西、維新、公明の3択の内2択しかなく、せめて最もドス黒い京西落としをやり、自民に吸収寸前な断末魔維新を生かしてしまう、究極の選択状態に追いやられる。
そればかりか、下手をすれば京西&公明だけの無選挙も考えられる。
2015年選挙も、維新、公明、自民と目を覆うしかない選択肢が並んだが、まだ自民は殿本マリ子という女性候補がいた。
それが、2019年は「楽して議員でいたい」思いを隠そうともせず、ダークサイドから目だけギョロリとむくオッサンらから選ばねばならんのかと、想像するだけで恐怖感を覚える。
府議こそ野党共闘で候補を出し、せめて京西&維新連合を政界から叩き出す選択肢を市民に提示して欲しい。
この既に市民にとっては十分悪夢の無脳集団に、京西氏が参列する姿を市民が見なくて済むように。
この貝塚勢を加えると、私の一太刀を浴びるため、真ん中で座して死を待つ無脳ボンボンは別にして、岸和田の若い二人がマシに見えるから不思議だな・・・・
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酒鬼薔薇聖斗を引き合いに出し発言するのは、被害者家族に対して如何なものかと思いますが。
それについてはどう思われますか?
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コメント、ありがとうございます。
それは一理ありますね。
しかし、あなたはどの立場で、それを私に指摘しているのでしょうか?
あなたは当事者ですか?
また、犯罪被害者に寄り添うどのような活動を行っていますか?
被害者家族が、不快に思われたのであれば、私は直接謝罪いたします。
ご指摘は、ありがたく頂戴しておきます。
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そこに立場関係ありますか?
では、直接謝罪し、その証拠をここに掲示すべきです。
常に何かしら直接直接と言ってここに公開してるので、そこは簡単ですよね?
政治家になりたいのであれば、そう言った細かな発言も拾われ必ず問題にされることを少しは気にされた方が宜しいかと。
人のことを言う前に自分のことをと思うのは私だけでしょうか?
ご自身でよく考え直された方がいいと思いますよ。
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コメント、ありがとうございます。
あなたは、当事者ではないのでしょ。
でしたら、指摘は引き受けるが、それ以上は返答しようがないとの考えです。
第3者が出張る場面ではないよとしているだけです。
問題であれば、どうぞ、関係者にお伝え下さい。
直接、私が説明をし、当事者が不快に感じられれば、謝罪します。
私から「ここに書きましたよ」と、あえて言う必要性が不明ですので、その説明をどうぞ。
発言や行動がチェックされるのは大歓迎ですし、その説明はしますよ。
但し、本件が示唆しているのは、京西氏らです。
その比喩について、私が批判を受けるのは、京西氏や事件関係者であると考えます。
他にも同事例があるか、監視をお願いしておきます。
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横から失礼致します。
あなたのこの方へのコメントを見ていると、公人になろうとしている方のコメントとは思えない物言い、言い回し、表現方法ですね。
>その比喩について、私が批判を受けるのは、京西氏や事件関係者であると考えます。
では、岸和田市以外の市区町村で起こっている問題等に間sh知恵、あなたが批判をしたりすることは関係ないということになると思います。
ご自身の中で思われるのは良いとして、それを発言することが公人になるべく人の資質がないと私は申し上げているだけです。
私は公人等になる気はさらさらありませんが、あなたのブログを見ていると、何がしたいのか、何を目指しているのか、全くわかりません。
人のふり見て我がふり直せではないですが、あなたにはこの言葉が本当に当てはまると思います。
税理士のお仕事をされており、法律には精通しているのでしょうが、いつまでたってもこれでは選挙に通ることはないですね。
残念。
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コメント、ありがとうございます。
2人とも論点がわかっていないようですので、説明します。
私が酒鬼薔薇比喩を使ったことが、論点であり、それを私は事件関係者の傷口に塩を塗る行為とは考えていません。
それは、多分多くの人々が事件について思い起こす際に出る被害者の父親である医師が書籍を出版していることにも起因します。
これによって、彼は世間と向かい合う立場に立っています。
あなたのように岩陰に隠れて石を放るのではなく、姿を見せて自分の主張を展開しているということです(「晒し者になる覚悟」ではないですよ、念の為)。
その中で使い倒された記号となっている「酒鬼薔薇」について、私が使用した。
これが悪ノリな部分を含むと捉えられかねないことは、私も承知しています。
だからこそ、当事者に指摘を受ければ、説明をすると回答しています。
これは法的な理屈でもあり、名誉毀損や侮辱について、親告罪とされている事を準用しています。
岸和田以外のことを批判するなとの指摘についても的はずれです。
私が批判し、改善させているのは、政治家や行政です。
これは公ですから、市民として、に全国どころかブラジルの政治批判をしても、何ら問題ない。
そのように矮小化するなら、岸和田市内でも自分が住む春木大国町だけ以外は黙っとれとなりませんか?
大澤町の土砂崩れについて、私は被害者遺族でも水害を受けたわけでも、地域住民でもないので、「黙っとれ」となるし、福島や沖縄差別の問題、森友学園についても「黙っとれ」となりますな。
ご自身の中で思われるのは良いとして、それを発言することが公人になるべく人の資質がないと私は申し上げているだけです。>>
沈黙は金、饒舌は銀ですか?
あなたは人の心も読めるんでしょうね。
私はそんな能力はないし、一般的にヒトはそんな能力を有しないので、表現をする必要があり、まして世間に対して自らを問う必要のある政治家としての立候補をしたのですから、ドンドン表現をすべきだとの考えですし、それこそが政治関係者の義務とも言えます。
だからこそ、多くの政治関係者がブログなどで発信をしています(岸和田では、私に引用されることを恐れて、ほとんど発信していませんが)。
主張の内容で、市民に判断を仰ぎ、自身の主張の説明を行うことが義務であり、それを行うために私はコメントフリーにしていますし、批判を大歓迎しています。
私の目指すところは民主主義であり、それに基づいて行政や議会を糺しているのは、「達成しました」でもその一端が見えるでしょう。
「人のふり見て我がふり直せ」の「人」とは誰を指しますか?
文脈からは、岸和田に限定しているようですので、岸和田の政治家を指すように思われますが、そもそも表現を行う議員が岸和田にはいないので、諺の引用を間違っているのではないかと解釈しています。
税理士のお仕事をされており、法律には精通しているのでしょうが、>>
私は税理士ではなく、行政書士で、税理士試験に税法関連以外の法はありませんので、ここも的はずれです。
「残念」も、良いと考えていたものが、期待を裏切られたといった場面で使うもので、あなたは当初の文脈から、そのように私を評価している箇所がありませんので、使うなら「やっぱりね」じゃないんですか?
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