ネトウヨに贈る、ヒロヒト氏の戦争責任と、パール判事の日本加害への言及

以下は、ネトウヨへのコメントとして使ったもの。
メモ代わりに残しておく。
その1 ヒロヒト氏の命乞いによる日本などの被害
 当時、日本は「降伏の意思表示」などしていません。
 グズグズとポツダム受諾を引き延ばしていました。
 ヒロヒト氏の生命をどうするか、天皇制を存続できるのかが記載されていないかったからです。
 だからこそ、ヒロヒト氏や軍部はソ連侵攻まで受諾を伝えていません。
ソ連侵攻でたまらず白旗をあげたのは、スターリンの粛清しまくりを見て、ヒロヒト氏もそうなると予見したからです。
 そうでなく、早期敗戦をヒロヒト氏の命と引き換えにしても国民を守るために決意していたなら、1億総玉砕でもヒロヒト氏を守る松代大本営はなぜ敗戦日まで掘り進められたのでしょうか?
 もう一つ、ヒロヒト氏が戦争を引き延ばした証拠は1945年2月14日の「近衛上奏」です。
 当時は日本の敗戦が、国民も含め誰の目にも明らかでしたので、近衛文麿元首相を中心に、天皇制の維持=国体護持を最優先にした和平交渉が本格的に模索されています。
 近衛氏は米内光政(鈴木貫太郎内閣での海軍大臣)らとも内々に話し合った結果、ヒロヒト氏に「戦争の即時終結」を進言したのが、いわゆる「近衛上奏」です。
 しかし、ヒロヒト氏はこれを拒否し、戦争を続行しています。
 米内氏はヒロヒト氏の真意を忖度して、5月末の会議では陸軍大臣・阿南惟幾と論争し、「一日も早く講和を結ぶべきだ」、「この大事のために、私の一命がお役に立つなら喜んで投げ出すよ」と言い切ったとされています (吉田俊雄著『日本海軍のこころ』)が、公式にヒロヒト氏がそのように発言した記録はありませんし、少なくとも2月時点ではそのような「真意」ではなかったと、周囲の記録や被害への対処から読み取れます。
 「上奏文のなかで近衛は、『敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存じ候』として敗戦をはっきりと予言し、敗戦にともなって『共産革命』が発生し、天皇制が崩壊するという最悪の事態を回避するために、ただちに戦争の終結に踏み切ることを主張したのである。
近衛のこの上奏に対し天皇は、『もう一度戦果を挙げてからでないとなかなかむずかしいと思う』と述べて、近衛の提案に消極的な姿勢を示した(『木戸幸一関係文書』)。
 
 天皇はまだ、戦局の挽回に期待をつないでいたのである」(吉田裕著、『昭和天皇の終戦史』)
 近衛上層以後の日本の被害:
 マニラ市街戦(2~3月)
 東京大空襲(3月10日)
 名古屋大空襲(3月12日)
 大阪大空襲 (3月13日)
 神戸大空襲(3月17日および6月5日)
 沖縄戦(4月1日~)
 広島(8月6日)・長崎(同9日)への原爆投下
 そしてダメ押しの敗戦直前のもの
8月14日 岩国大空襲 この空襲の帰りに光にも空襲があった。
8月14日 山口県光市 光海軍工廠空襲 死者738人。
8月14-15日 熊谷空襲 B29・89機。死傷者687人。
8月14-15日 伊勢崎空襲 B29・93機。
8月14-15日 小田原空襲 死者30-50人。伊勢崎と熊谷を空襲したB29が帰路に余った爆弾を投下した[41]。
8月14-15日 土崎空襲 B29・132機。死者250人超、製油所全滅。
 
これらすべてがなかったのです。
その2 パール判事の開戦責任は米主張
より
広島の原爆慰霊碑の碑文は

「安らかに眠って下さい。
過ちは繰り返しませぬから」

と、あります。

コレに抗議をし
変わる碑文を依頼され
新しい碑文をおくった
あのパール判事のお話を紹介します。

 
~(中略)~
 
その戦争の種は
西欧諸国が東洋侵略のために
蒔いたものであることも明瞭だ。

さらにアメリカは、
ABCD包囲陣をつくり、
日本を経済封鎖し、
石油禁輸まで行って挑発した上、
ハルノートを突きつけてきた。

アメリカこそ開戦の責任者である。

 
~(中略)~
 
これが本照寺に建立されている
【大亜細亜悲願之碑】です。

激動し
変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の想いを抱いて死んでいった
しかし大地深く
打ちこまれた悲願は消えない
抑圧されたアジア解放のため
その厳粛なる誓いに
いのち捧げた魂の上に幸あれ
ああ 真理よ!
あなたはわが心の中にある
その啓示に従って
われは進む

ラダビノード・パール
(抜粋ここまで)

 
ネトウヨ主張では、広島の碑文は主語がないので、英米の責任を記せとパール氏に頼んだんだよね?
で、どこに英米の責任など書かれているのか?
 
しかも「アジア解放」でなく「自らも強盗の一味として、負けてはならじと、分捕り合戦におっとり刀で参加した」でしょ?
 
これは皆様のサンケイでも書かれている。
「アジア解放」は純粋かつ実際の目的ではなく、石油などの産地である欧米諸国の植民地の横取り=侵略こそが本来の目的だったのだと、明確に説いています。
ちなみに記事の全文は、敗戦までのところで区切りにして単行本にした『子供たちに伝えたい日本の戦争』(産経新聞出版、2014年7月、1300円+税)にある。
子供たちに伝えたい日本の戦争 1894~1945年 あのとき なぜ戦ったのか -
子供たちに伝えたい日本の戦争 1894~1945年 あのとき なぜ戦ったのか –

もっと詳しくは↓
皆様の産経による 日本軍加害報道

また、同時期、スペインの独裁者フランコは、その地理的条件を交渉材料に、独英米と渡り合い、中立を維持した。
それと比較すれば、日本の為政者の無策ぶりが透けて見える。

それは猛々しく叫ぶ安倍氏やイシハラ氏のような政治ゴロにも知恵がないことの証左となろう。
その3 パール判事による日本加害とネトウヨによる改竄
南京大虐殺をパール判事は事実と認めた。 そして、田中正明は改竄した。 – ナザレのイエスと釈尊道元の思想の深化。日本人の知性で考える! – Yahoo!ブログ
2008/7/5(土) 午前 8:56
https://blogs.yahoo.co.jp/satoatusi2006/11721231.html
より
南京大虐殺をパール判事は事実と認めた。 そして、田中正明は改竄した。

以下は、中島岳志著(北海道大学 公共政策大学院 准教授)
「パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義」
白水社 ¥1800- 2007年発行
に、大部分拠っています。是非、購入して、一読をお勧めします。
パール判事の人格の素晴らしさに触れることが出来ます。至福の時です。

●田中正明は改竄を行う。パール判事の場合も。松井石根の場合も。
なぜ行うのか?それは、歴史の真実を知ろうとしていないからである。
だから、歴史家としては、失格であり、田中正明を土台に構築する人は
全てウソの上に乗っているので崩れ去る。

(1)パール判事は、日中戦争を「戦 争の規模に達していた」と主張し、
東京裁判では<日中戦争以降を>審議の対象とすべきと訴えた。

一方、田中正明は、ウソをつき、
“「パール判決書」には「本裁判所における管轄権は、1941年12月7日以降、
日本降伏までの間に起きた、いわゆる太平洋戦争中の戦争犯罪に対してのみ
限定すべきである」と記載されている。“
としている。(田中が正しいか?パール判事が正しいか?明確である。)

これは明確な田中正明の改竄であり、パール判事の主張を著しく歪曲している。

なぜ田中正明は、ウソを言う必要があったのか!
それは、日中戦争が、日本の自衛のための戦争ではなく、
中国領土を奪うための侵略戦争だったことを、田中正明自身は知っていて、
どんな理屈を つけても、自衛戦争と言えなかったからである。

(2)更に、田中正明は、自分に都合の悪い、(田中の考えを否定する)
次のパール判事の批判を読者に隠している。

パール判事の激しい批判:
・張作霖爆殺事件は「無謀でまた卑劣である」「殺人と言う卑怯な行為」
・満州事変を「非難すべきもの」
・満州国建設を「手の込んだ政治的狂言」
・南京虐殺やフィリピンでの虐殺を事実と認定し「鬼畜行為」と批判

パール判事は、英国が自分の祖国インドを植民地支配しているのと
日本がニセ満州国を建設し植民地支配しているのを、重ねて同列に見ている。

田中正明は、自分に都合が悪いので、これらを一切触れず、読者に隠している。

この部分は「パール判決書」の最 も重要な論理展開の場合であり、
このパール判事の明確な価値判断を示すものであり、
これを意図的に隠すのは、極めて大きな問題がある。
日本人に対しても、犯罪行為である。

つまり、この田中の行為は「田中正明の価値判断」と「パール判事の価値判断」と
が明確に異なっていることを知っており、パール判事が田中正明を否定するので、
「パール判事の価値判断」を隠した訳です。
このような田中正明は、パール判事を紹介する資格はない。

(3)パール判事は、判決書の中で、
・「東条一派は、多くの悪事を行った」
・「日本の為政者、外交官および政治家らは、おそらく間違っていた」
・「自ら過ちを犯したのであろう」
と言明し、日本の為政者に道義的責任があ ることを明確に示している。

だから、パール判事の主張を、次のようだと言うのはウソである。
・「日本の為政者には一切責任がない」
・「日本は道義的にも無罪」

田中正明の「パール博士の日本無罪論」は題名からして、ウソである。

●パール判事は、1966年10月1日(敗戦後21年)80歳に再び日本に来た。
そして、次の様に演説しています。
「私は今でも確信をもって、自分の判決書に書いてあることが間違いないと
いうことを断言できます。」

更に、A級戦犯の賀屋興宣や荒木貞夫や、A級戦犯容疑の岸信介を前にして
「あの戦争裁判で、私は日本は道義的には責任はあっても、法律的には責任はない
という結論を下しました。」と本人の眼の前で言っています。

つま り「日本の為政者に、当時の国際法では、法的責任は問えないが、
道義的責任が存在する」ことを端的に、A級戦犯本人の前で述べている訳です。
これが80歳のパール判事の信念です。
その2ヶ月後、パールはカルカッタで死亡する。

●田中正明は、パールの息子プロサント・パールをも騙した。
そして、東条英機の映画「プライド 運命の瞬間」を作った。
息子プロサント・パールは、すぐさま抗議の手紙を書いた。
田中正明から返事が来たが、それは息子プロサント・パールにとって
「屈辱的な裏切り行為」以外の何者でもなかった。

これは、東条英機の映画「プライド 運命の瞬間」がパール判事を騙して
いることを示している。恥知らずな映画である。

●日本の右翼 に、パール判事の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
日本を、崩壊の崖っぷちに導いたのは、日本の軍隊です。
再び、日本の右翼が日本を滅ぼす道に導いています。
若い人が騙されている。憂国。

なんとしても絶対平和主義者のパール判事の意思を伝えたい。
それが、アジアの平和を作り出すことになる。と確信する。

==========

『ヒンドゥー・ナショナリズム―印パ緊張の背景』(2002年、中公新書ラクレ)
『中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義』(2005年、白水社→白水Uブックス)
『ナショナリズムと宗教―現代インドのヒンドゥー・ナショナリズム運動』
(2005年、春風社→文藝春秋ライブラリー)
『インドの時代―豊かさと苦悩の幕 開け』(2006年、新潮社→新潮文庫)

『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(2007年、白水社→白水Uブックス)

『朝日平吾の鬱屈』(2009年、筑摩書房 双書zero)
『中島岳志的アジア対談』(2009年、毎日新聞社)

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投稿者:

watchdogkisiwada

岸和田市の財政位破綻を止める!! 財政破綻が明らかになるほど税金を食いつぶされながら、議会も見て見ぬふりをする 土建屋ファーストな市政を正す!! あまりにもひどすぎる馴れ合い議会がチェックしていない、議員特権や行政の無駄などを、岸和田で初めて私が追及、是正させています。 あなたの“かかりりつけよろず相談員”としての使命に励みます!! 行政書士としてトラブル予防を、 防災士として防災や防犯を、 柔道整復師として健康について、 ご相談、承ります。 情報、批判はコメントいただくか、 メールアドレス:kurohata73@yahoo.co.jp 電話:080-6178-6006まで! 岸和田市議や市長らは私の追及に逃げまどっていますが、自民・公明・維新などのネトウヨ政治家だけでなく、共産・民主他どんな議員とも公開討論、受けて立ちます!! 【メディア出演】 TBS「ビビット」、MBS「VOICE」、ABC「キャスト」他ニュース 読売・産経・朝日・毎日の各新聞社で、その活躍は、度々紹介されています。

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