子どもは大人の願望である英語教育の玩具か! 早期教育などより母語である日本語を学ばせよ。

私の主張の結論:
保護者がやりたきゃやれ。
しかし税投入をするならせめて教育効果が認められる中学生以降にすべしで、成人であっても日本語すら習得できていないお粗末な教育状況下で、何が外国語か!


以下、外国語の習得について、私がこう結論付けている根拠を提示します。

より
 学習年齢が成否に強い影響をあたえる、ということについては、研究社の間で意見が一致していますが、臨界期というものが実際にあるのか、またあるとすればそれが何歳くらいなのか、ということについてはまだ合意がありません。
 1970年代後半の研究では、子どもと大人を比べた場合に「大人のほうが早いが、子どものほうが優れている(Older is faster, younger is better.)」というものでした。つまり、大人のほうが、発達した認知能力を使って短期的には素早く学習することができるが、何年も経ってくると、若いときに始めた人のほうが、より母語話者に近い外国語を身につけるようになる、ということです。
 ロバート・ディカイザーは、ピッツバーグ周辺のハンガリー人のコミュニティで自然に英語を習得した人々の英語力と、文法分析能力の適性の関係を調べました。結果は、16歳以降にアメリカに移住した人については適性テストの得点が高い人だけ、つまり文法分析能力の高い人だけが英語ネイティブに近いレベルまで達したのに対し、16歳になる前に移住した人は適性に関係なく全員がそのレベルまで達していたのです。
 まず、脳神経生物学的な説明があります。脳の構造が特定の年齢までに変化するので、その後は第二言語を学習する能力が衰えてしまう、という考え方です。脳の持つ柔軟性がある年齢になるとなくなってしまう、と言ってもいいかもしれません。
 また、「認知的」な説明もあります。「大人はすでに抽象的分析能力が身についているため、言語習得が自然に行えない。一方、子どもはあまり細かい分析をしないので、母語を学ぶのと同じような自然な習得ができる」というものです。
 最後に、心理的態度の違いによる説明もされています。子どもは自意識が発達していないので、外国の人々と自然に交わることができる。それに対して、大人は自我が発達しているために、新しい環境に溶け込めない、つまり外国語環境になじめない、というものです。
 最近有力になりつつある説として、母語を習得することにより、母語というフィルターを通してしか外国語を処理できなくなってしまう、という考え方があります。たとえば冠詞など。
 音声の例でいえば、lとrのが同じ音に聞こえるので、この2つの区別を習得するのが非常に難しい、というのも同様です。日本語を処理するのに重要でない音の区別は母語を習得する過程で、無視するようになっているのです。母語にとって意味の無い音は無視したほうが効率がいいからです。
 つまり、母語話者は、すでに自分の母語を聞いて処理するための非常に効率のよい言語処理のシステムが確立しているので、第二言語を処理するときにもそれがフィルターとなってしまうため、不十分な習得しか達成できない、という考え方です。
 外国語の学習を始めた年齢が、その後の学習の成否と強い相関がある、ということを否定する研究者はいません。ただ、それが、どこから来ているのか、ということについては、意見の分かれるところです。
よく、幼児期に英語耳をつくるなどと言った主張も聞かれるので、音声臨界 聞き分けについて
ワシントン大学のパトリシア・クールらの研究
より
 乳幼児は、世界の言語に存在するすべての音を区別することができます。たとえば、日本人の赤ちゃんは、生後数ヶ月はlとrの区別が出来ますが、その能力は生後6ヶ月から1歳くらいまでの間に急速に低下してしまいます。
 この実験はヘッドターンと呼ばれるものを使用します。たとえば、日本人の赤ちゃんにrarararararaという音を聞かせます。これを途中でlalalalalalaに変え、それと同時におもちゃが出てくるようにして訓練すると、赤ちゃんは音が変わるとおもちゃが出てくるのだということに気付いて、音が変わった途端、おもちゃが出てくる「前に」顔をおもちゃの方向に向けて見る、つまりヘッドターンをするようになります。ところが日本語の音声体系を習得してしまうと、この違いが聞き取れなくなり、一歳くらいの赤ちゃんはraからlaに音が代わったといことに気がつかないので、おもちゃが出てきた「後で」しかおもちゃのほうをみないのです。
 さらに、生後7ヶ月の時点の母語にある音の識別能力が、母語にない音の識別能力と負の相関がある、つまり反比例することをしめし、母語を学習することによって、外国語の区別ができなくなることを明らかにしました。外国語の音が区別ができなくなる、というのはある意味では否定的ですが、見方を変えれば、自分の言語にとって重要でない区別を無視することを学び、より効率的に言語を処理できる能力を身につけている、といえるでしょう。
 また彼らは、生後9ヶ月のアメリカ人の赤ちゃんに、一回25分、四週間に渡って12回(計5時間)、中国語で絵本を読んだり、おもちゃで遊んだりしてあげたのです。もうひとつのグループには同じようなことを英語で行いました。その結果、中国語を聞いたグループが英語にない中国語の音の区別が聞き取れるようになるか、ヘッドターン法を使って調べてみたわけです。
 驚いたことに、中国語を聞いたグループは、たった5時間のトレーニングの結果、台湾で中国語を習得している赤ちゃんと同じレベルの識別能力を示したのです。英語を聞いたグループは予想通り、この研究に参加していないふつうのアメリカ人の赤ちゃんと同じ結果でした。
 生後6ヶ月から1歳のあいだに母語にない音の識別が出来なくなるとしたら、第二言語習得の音声習得の臨界期が12-3歳ではなく、また一説による6歳、ということでもなく、一歳、もしくは6ヶ月から12ヶ月のどこか、ということになってしまうような気もします。
「読み」と「書き」は母語以外では能力が格段に落ちる。
しかもスペイン語やドイツ語などと異なり、発音を文字にしにくい下等な言語であるアングル語では、その傾向が顕著である。
英語を話せずスペイン語だけで通しても生活はできる(ホワイトカラーの経営者などになれるとの意味ではない)米国内でも、英語を話せるが読めない中南米からの移住者はゴロゴロいる。
米国製エリートは本当にすごいのか? (中経の文庫 さ 21-1)   佐々木 紀彦
より
米国製エリートは本当にすごいのか? (中経の文庫 さ 21-1) -
読む力が書く力に転嫁されにくい。
読書時、母語であれば新しい語彙や言い回しのうち1、2割は自然にインプットされるが、英語は読めども読めどもその語彙が身に付かない。
英語の読める語彙が100あるとすると、そのうち出かける語彙は20~30程度。
学び方について
より
外国語上達法 (岩波新書 黄版 329) -
上達に必要なのは――お金と時間
「まず半年ぐらいはがむしゃらに進む必要がある。・・・一度軌道に乗りさえすれば、あとは定期的に限られた時間を割けばいい。」

覚えるのは――語彙と文法
「外国語の学習に際して絶対必要なのは、この二つである。・・・この語彙と文法、という順番がまた大切な意味を持っている。まずは単語を知らなくてはだめである。」


TOEFLは学習成果をはかる試験ではない。

日本の英語教育における政府の不毛な議論と無謀な学習計画
◆鳥飼玖美子「世界に通じる英語教育とは」『月刊日本』2013年5月号
より

TOEFLを大学入試で活用するとなると、そもそも日本の高校生は語彙力からして無理です。自民党政権下で語彙は一貫して減らされており、1951年に上限6800語だったものが2200語まで下がり、新学習指導要領では少し増やしたといってもたかだか3000語です。これでは語彙面だけでもTOEFLに太刀打ちできません。なにしろ、TOEFLは北米の大学で講義についていけるかどうかの英語力を測る試験です。

?欧米の大学は、とにかく大量の文献を読ませます。そしてそれを読み込んできたことを前提に、教師が講義をし、あるいは学生による発表やディスカッションをします。そこで求められるのは、読んだり聞いた りしたことをふまえて、自分の意見を言い、その理由を述べるという英語的論理に基づく運用能力です。だからTOEFLではリーディング、ライティング、リスニング、スピーキングの四分野とも極めて高い論理的な英語力を要求しています。
センター試験の英語の問題など、TOEFLに比べればおままごとです。高校卒業程度でそのレベルを求めるというのは酷というものです。平均点が低過ぎて英語運用力判断の材料にはならなくなるでしょう。そもそも、TOEFLは、学校で学んできた教育成果を見る試験ではないわけで、それも知らないで安易に導入を提案している再生会議の議論に驚きました。

同じく、 佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」読書ノート

現代ビジネス 2013.5.27
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35890
より
知の教室 教養は最強の武器である (文春文庫) -
知の教室 教養は最強の武器である (文春文庫) –

一般論として、学力のない者が、学習計画をつくると、実現不可能な課題が大量に盛り込まれる。

いずれにせよ、実務外国語においては、文法と語彙が生命線になる。英語に関しては、高校で習得する語彙数を1951年当時の6800語に戻すことが急務と思う。

「そもそも、TOEFLは、学校で学んできた教育成果を見る試験ではない」という指摘はその通りで、むしろ、TOEFLは、外交官並びに米国への留学が前提とされる中央官庁の官僚を志望する者に課すべきだ。

英語教育に乗せられること自体が、米帝国主義の軍門にゴマをすりつつ入れてくれとの姿勢を示す
愛国だ何だと言うなら、日本人として、矜持を持ったらどうか?
ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ   藤原 智美
より
 
ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ -
日本語の土台の上に接ぎ木するようにして得た道具程度の英語力は、所詮それを母語とする人たちにはかなわない。
その土俵とは思考そのものであり、日本語で考える人はアット的に不利。
言語のルールは常に母語を使える者に有利に有利になっている。
このルール上の優劣が英語化への圧力をさらに強めている。
その時代のその土地における経済力、覇権構造によって。多くの言語が消えていった。
グローバルネットワーク拡大のもう一つの側面は、英語対他の母語という言語間の戦争であり、それは静かにしかし急速に進行している。
日本語力が形成されていない段階で、将来単純労働に従事する事しかできない水準の英語の教育を子どもたちに強要するな。
国語学習の第1段階で重要なのは、言語を用いて論理的な思考を鍛えていくこと。
習得時期については、どの言語で話しているかよく理解できない小学生高学年より後の中学生以後論理的思考の基礎が母語で叩きこまれた後、英語漬けにするために外国で生活した子ども生涯2言語を操ることができるようになる。
話し言葉と書き言葉
ネット上では、長々と書いて説明しなければならないのは、そもそもダメなアイデアとみなされる。
それはネットで用いられる言葉が基本的に話しことばだからだ。
ネットは単なる道具ではなく、それ自体に知の形態を変容させる力がある。
その中では、他者から自分を切り離し、個として自立的に考えたり内省する行為は古臭い無駄なものとしてみなされている。
文学における作家とは、既成の集団的思考や規範一旦離れ、独自の視点を持った存在であるという意識を頼りに、表現方法として最適な、フィクションである小説を舞台に、書き言葉を連ねる作業を行ってきた。
小説や哲学書、思想書の読者もまた作家の書き言葉に対峙して自律的に思考することを要請されるが、現代のSNSなどでは瞬時の判断を求めることが流行になりつつあり、これが反知性主義に対する社会の耐性を弱くしている。

単純な話ことばのような文を書くことが習慣になってしまうと、コミュニケーション能力が低下し、難しいテキストが読めなくなってしまう。

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投稿者:

watchdogkisiwada

議会の無駄遣いを正して、府下ワーストに高い国保・介保料の値下げや、子ども・高齢者施策など、市民利益への還元を! あなたの“かかりりつけよろず相談員”としての使命に励みます!! 行政書士としてトラブル予防を、 防災士として防災や防犯を、 柔道整復師として健康について、 ご相談、承ります。 放漫市長と議会が大赤字にした岸和田市政を立て直す!! あまりにもひどすぎる馴れ合い議会がチェックしていない、議員特権や行政の無駄などを、岸和田で初めて私が追及、是正させています。 情報、批判はコメントいただくか、 メールアドレス:kurohata73@yahoo.co.jp 電話:080-6178-6006まで! 岸和田市議や市長らは私の追及に逃げまどっていますが、自民・公明・維新などのネトウヨ政治家だけでなく、共産・民主他どんな議員とも公開討論、受けて立ちます!!

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