南出氏の選挙事務所(同市東雲町)では、「当選確実」の一報が入ると、歓声がわきおこった。姿を現した南出氏は支持者とバンザイし、「選挙戦を通じていろんな人たちに希望を届けられたと思う。元気な泉大津をつくるために、新たな一歩を踏み出したい」などと抱負を語った。
南出氏は市政の改革を強調。市 立病院の経営改善や民間活力導入、府内では東大阪市と泉大津市だけが未実施になっている中学校給食実現などを掲げ、幅広い層に浸透した。
一方、伊藤氏は、公設公営による市立病院運営の継続や高齢者福祉充実を訴えたが、及ばなかった。
神谷昇・元市長は、2012年9月泉大津市長に連続無投票3選した1年強後2014年12月、自民党候補として第47回衆議院議員総選挙衆に当選する。
つまり、市長の仕事を放置して、自身の立身出世にまい進したことになる。
今回、南出氏は、労働人口の減少や企業誘致など泉大津市の衰退を変えると口にしていた。
だが、それをもたらしたのは、無策であった神谷市政と、票目当て神谷与党として彼を支え、トップ当選 を続けた南出氏本人ではないのか?
神谷氏の功績の一つをあげる。
大阪・泉大津市立病院、院長ら医師6人が一斉退職
2009年6月12日 読売新聞
より
診療科一部休止
大阪府泉大津市の市立病院(215床)で、飯田さよみ院長(59)(糖尿内科)ら内科医6人が6月末で一斉に退職することがわかった。市から名誉院長への就任を打診された飯田院長が「第一線からの引退勧告」と受け止めて反発したのが発端とみられ、同じ大学出身の5人も相次いで辞表を出したという。病院側は代わりの医師の確保に奔走しているが、血液内科の診療が中止に追い込まれるなど、影響は避けられない見通し。
飯田院長は2004年9月に院長に就任。3月中旬、神谷昇市長が名誉院長への就任を打診したところ、飯田院長は辞意を示し、説得にも応じなかったという。
神谷市長は「一段高い立場で経営と診療にあたってほし いという考えだったが、思いがずれてしまったようだ」と説明。一方、飯田院長は取材には応じていない。
その後、4~5月にかけて、飯田院長と同じ大学出身の内科医5人も「一身上の都合」として相次いで辞表を提出した。
市立病院は内科、外科など12科あり、今秋には地域周産期母子医療センターが開設する。医師は約50人。内科には五つの診療科があり、医師は飯田院長を含めて15人。6人は、血液、腎臓、糖尿の各診療科におり、血液内科、腎臓内科の医師がいなくなる。
病院側は4月以降、複数の大学に協力を求め、糖尿内科の常勤医1人を確保。腎臓内科も少なくとも1人の外来応援を受けられる。ただ、血液内科は医師が見つからず、受診中の100人以上の患者は近隣の病 院などに受け入れてもらう。また、糖尿内科、腎臓内科ともこれまでより診療回数が減少する。
大久保富夫事務局長は「患者への影響を最小限に抑えるため、引き続き医師の確保に努めたい」としている。
同府阪南市の市立病院でも昨年11月、給与歩合制度の見直しなどを市が打ち出したことに医師9人が反発し辞表を提出したが、後任の医師を採用するなどして診療を続けている。
(引用ここまで)
このような周産期母子医療センターの開設に汗を流した人を名誉生ゴミ扱いして、現場に口を出させないようにするのが、神谷市政であった。
名誉生ゴミが「一段高い立場で経営と診療にあた」れるというのか?
なら、後任の院長こそお飾りだと暗に示しているが 、そんな傀儡になりたい院長はいるのか?
神谷氏は医療現場について詳しいわけではない。
泉大津市唯一の分娩施設としての周産期医療センターといった箱モノに手は出したものの、自身が医師のハードワークの実態や公衆衛生、予防医学などを学んだうえで、地域医療をどう守っていくのかを市長として決断してきたということでもない。
評価するとすれば、光明池の大阪府立母子保健総合医療センターでも新生児集中治療室(NICU)は満床状態であり、2010年4月の診療報酬改定ではそれを解消しようと、新規患者を受け入れられない現状を解消するために、NICUの後方病床である新生児治療回復室(GCU)の評価が新設されているので、周産期医療センターがその担い手となった部分。
しかし、これを評価するなら、現在、ハシシタ失政がバレてきた大阪市立住吉市民病院と府立急性期・総合医療センターの統合に「NO!」を突き付けねばならんが、神谷氏も南出氏もそのような発言などはないし、南出氏などは新自由主義者丸出しなので、むしろ統合には賛成の立場だろう。
神谷氏についても見ておくと、
彼は1975年泉大津市議に26歳で初当選し、4期務める。
1991年 大阪府議に鞍替えし、4期務める。
2004年9月 2003年4月に府議当選しているのに、途中でやめて泉大津市長を2004年9月25日~2012年11月30日まで3期務める。
3期目スタートは、2012年9月(ここまでは自民色を鮮明に出さず、無所属)。
2012年 12月 第46回衆議院議員総選挙落選。
小選挙区では、大阪19区中、自民3公明4維新12の結果であり、比例復活も次点で7名の中に入れず。
2014年12月 第47回衆議院議員総選挙でも小選挙区では2位落選するも、近畿比例区では3位として復活当選する。
ここで神谷氏を破ったのが、高石の大地主である秋田犬のブリーダーこと遠藤敬氏(維新)だ。
彼は、堺高石青年会議所の理事長となり、中山太郎・元衆議員陣営の青年局長や中川昭一・衆議員の大阪後援会会長等を務め、自民政治家志望であった。
そして2010年5月25日、前年の第45回衆議院議員総選挙で落選した中山氏が、自由民主党に離党届を提出したのを受け、自民党の全国公募を経て、18区支部長となってい る。
当時は、本人が尊敬する安倍晋三・自民党総裁と写るポスターを作成・掲示するなどして選挙へ向けての活動を行うものの、一部の自民党員が遠藤氏の公認に反対し続けたため、2012年9月28日付の自身のブログで、橋下徹大阪市長が代表を務める大阪維新の会が提唱する競争原理主義への賛意を表明した上で、同日自民党に離党届を提出。
その後日本維新の会に入党し、11月17日に同党大阪府第18区選挙区支部長に就任。
第46回衆議院議員総選挙で日本維新の会公認、みんなの党推薦候補として出馬したもの。
自民に振り回された感のある神谷氏は、南出氏と親密な神谷宗幣氏に振り回された挙句、自民府議を途中でやめさせられて衆議員選挙に出馬させられた宗清皇一 ・衆議員をほうふつさせる。
党の思惑でコマとなった神谷氏に引っつきつつ、自身の所属するネトウヨ組織な龍馬プロジョクトの代表には同じ罪を犯させる南出氏の神経はどのようなものだろうか?
まだ人間味のある自民の神谷氏と異なり、自身の立身出世しか脳内にない南出氏であるからこそ、龍馬な神谷氏の行いに対しても何於痛痒も感じないのであろう。
もう一点、南出市政について書きたいことがあるが、もう一丁、自民な神谷氏の“実績”について、披露しておく。
自民党の神谷昇衆院議員(65)=比例近畿=側が昨年秋、大阪府泉大津市内の町内会に議員名で5万円を寄付していたことが26日、分かった。
神谷氏は昨年末の衆院選に同市を含む大阪18区から比例代表と重複で立候補しており、選挙区内の寄付を禁じる公職選挙法に抵触する可能性がある。
神谷氏の事務所は産経新聞の取材に「返還について町内会と相談して対応したい」とコメントした。
神谷氏の事務所によると、昨年10月初旬、地元で開催予定だっただんじり祭りを支援するため、神谷氏の親族が5万円を町内会に寄付。
その後、町内会が設置した寄付者名を示す掲示板に「五萬円 神谷昇」と記された。数日後、掲示を知った神谷氏が公選 法抵触の可能性などを懸念して掲示を外すよう求め、町内会も応じたという。
ただ、返還までは求めなかった。
公選法は本人が出席する冠婚葬祭の祝儀や香典を除き、公職の候補者や立候補予定者らが選挙区内の個人や団体に寄付することを禁じている。
担当者は「議員本人は寄付について当初は何も知らなかった」と釈明した。
神谷氏は泉大津市長を経て平成24年12月の衆院選に自民党公認で大阪18区から出馬し、落選。
その後も政党支部の代表として次期衆院選当選を目指し、昨年12月の衆院選では選挙区で敗れたが、比例で復活当選した。
再び南出氏に戻る。
神谷市政を支えた南出氏であれば、 今回ではなく、12年にこそ手を挙げて神谷市長の抜けた穴を埋めるべきではなかったか?
3末に退職を控え、年末をゆっくり過ごそうとしていた職員の伊藤晴彦氏は、自分から率先して手を挙げたわけではない。
頼まれる形で、寝耳に水な担ぎ上げられをして市長選に出馬しているのだ。
それは1月6日告示の選挙で、12月28日に出馬決意をしているとの慌ただしさからもわかる。
しかも伊藤選挙を神谷氏も支持しているところから、南出氏も支持していたと推察される。
対立候補であった小西日出夫・元市議の政治姿勢について、田立恵子(共産)市議ブログではこう記される。
より
前市議候補の「ごみ袋の無料化を実施」の公約を見て「こちらに決めた」という方もおられたと思う。
この候補者は前市長の「有料化提案」に賛成し、その後、市民がやむにやまれぬ思いで猛暑のなかで取り組んだ「有料化撤回を求める請願」には「議会の多数が市民合意」と言って市民の請願権自体を否定する発言をして「全面的に反対」と意見表明した。その後、ごみ問題について一度も発言していない。選挙になって「ごみ袋無料化」を公約に掲げる変わり身の早さには驚いたが、前市長のもとで実施された有料化への市民の反発を反映したものだったと思う。
この選挙を制して市長とった伊藤氏は、神谷失政の火中の栗を拾ったと言えよう。
そして、職員経験から、派手さはないが実務をこなした4年間だったろう。
しかし、市民は行政や議会を十分吟味しているわ けではない。
選挙時だけの派手なアドバルーンに魅かれるのも大批判はできまい。
これは維新ともダブって見える。
ハシシタ氏がラッセルした後をトレ-スしている松井府知事や吉村市長を逆にしてみよう。
吉村氏を私は堅実な政治家だと見ている部分があるが、ハシシタ氏の前に彼を維新代表首長として送り込んでいれば、維新の改革イメージはカルメラ焼のように中身のないまま膨れ上がることはなかっただろう。
着実な実務家よりもウソでも派手な大宣伝を行い続けてきた結果が、今のような政治不信を生んでいるのに、南出氏が行ったことは、そのトレースに過ぎないし、それは4年後に明らかになるはずだ。
これは私だけの意見ではない。
当選発表をする19日付け産経で、張英壽・記者は「問われる若きリーダーの実行力」と銘打ってこう書いている。
前略~
挑戦者として理想を語ることは簡単だ。
今後は、それらをどう実行に移すかに注目が集まる。
返済分の借金の比率を示す実質公債費率(平成27年度)は、全国の市町村で14番目に高く、財政を再建することは容易ではない。
市立病院についても、どのように経営改善を図っていくのか、青写真はまだない。
南出氏の座右の銘は「知行合一」。
実行力が問われている。
これは、言外に「公約として広げた大風呂敷を、どのように現実の結果として市民に見せるつもりか? そんなすごい首長に南出氏はなれると言うのか? 記者生活30年近いベテラン記者として、また堺記者クラブ員としても間近で見てきたが、そんな風には見えんがね。」との意図をもって書かれれいるのではないか?
張さんを「ベテラン」としたのは、私が彼と名刺交換したことを思い出したからだ。
私の名刺を見た彼から「同級生だ」と言われたのだから、50歳前となれば「ベテラン」となろう(二人並べば、誰が見ても、私が年少に見えるだろうと自負しているが)。
産経が記者名付きで記事を書くのは珍しい。
張さんはそれだけの記者としての矜持をもって、南出氏に突きつけているのであろう。
中学給食についても、教育総務課の説明を見ていると、現状では実質的に給食化されているし、施行するとしても民間給食を取り入れるしかないだろうから、保護者からは反発が起きると予想される。
南出氏がその時、どのように説明するのか?
20日付産経では、当選証書受け取りに来た南出氏の言葉として、親子方式かデリバリー方式(民間調理場活用方式)をあげていた。
後述するように市では、単独調理場方式(自校方式)や共同調理場方式(給食センター方式)はもちろん、南出提案も既に検討した後に、不採用としている。
秘策があるはずもないと考えているが、私の質問を無視しているように、都合の悪い市民の意見も圧殺するのではないのか?と予告もしておく。
中学校給食について
中学校給食につきましては、本市の実情を踏まえ様々な角度から検討を行いましたが、自校調理方式やデリバリー方式など、いずれの実施方式の場合も、給食室や配膳室など、広い校舎スペースを占める施設整備が必要となります。
しかしながら、本市中学校は、生徒数が極めて多く、現在の校舎の利用状況では施設整備が困難であることから、当分の間、給食実施を見送る判断に至りました。