短絡的な問題解決に走ると、リスクは自分に戻る  市民の力で医師を支える編

不足する医師の中でも、小児科医不足は、全国的に問題となっています。
これは受診過多による過労や、何か問題があった際、「医療過誤」として問題追求をされるからでもあります。
前回紹介した『医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か』にはこう書かれています。

補償の条件を低くして、避けようのない死まで補償の対象とすべきでない。
病院での死、自宅での死を平等に扱う必要がある。
病院で死ぬと補償金が得られるとなると、病院の医療がゆがんでくる。
また、家族の成り立ちがゆがんでくる。
それ以上に、死生観がゆがむ。

すべての死が補償の対象となるということは、死があってはならないことだと認定するようなものである。
いくら認定しても、死は厳然と存在する。あってはならない死は恐怖の対象となり、冷静に受け入れられることがない。

死は、現世のすべてを無にするという意味で人間を平等にする。
死ほど人間の平等を明確に示すものはない。
死を受け入れることで、個人の欲望の空しさが実感でき、行動が律せられる。
死を受容しないと、死への恐怖とあくなき欲望が人間の行動を醜くする。
恐怖と欲望がひしめき合い争いが絶えない。死を受容する思想がなくなれば、日本人の将来が危うくなる。
(引用ここまで)

日本の医療は、皆保険制度となっていて、それは(劣化してきているとは言え)世界に誇れるものです。

 

『世界の医療制度改革 2004年版』  OECD編著
(データ記載の注:メキシコの健保は過半数が加入していますが、全国民をカバーしているわけではありません)

他にも医療費が原則無料や安価な国がありますが、これらの国と日本との決定的な違いは、死に際の延命治療を無理に行わないとする全体的な合意があるかないかです。

在宅や、施設内で、高齢者がガンなどの終末期となったり、寝たきりな状況で、肺炎となった場合
日本:救急車を呼ぶ→病院→治療で無理に生かす。
他国:痛みや苦痛を取り除くような鎮静はするが、治療に傾倒しない→静かに死を迎える。

こんな例もあります。
植物状態となっても、「何が何でも生かしてくれ」と、家族らが医師に懇願するのは、日本だけの例です。
医師とすれば、患者さんはほぼ意識が戻らないまま死んでいくだろうし、無理に生命維持装置をつけたりすれば、苦しむだろうと思っていて、それを家族に説明しても、静かに生を全うさせないで、心臓を動かし続けさせる家族。

理由は、遠方の親戚が来るまでの間もたせて、死に目に多くの親戚などが会えるようにではなく、患者さんが受け取っているお金です。
高額療養費を支払っても払い戻しを受ければ、支払うのは月額8万100円+αですから、年金や軍人恩給が数十万であっても、受取額の方が高くなります。

早くに死んでいるのに、100歳を超えて年金を受け取り続ける遺族が、詐欺で逮捕されたりしているニュースを見ると、「家族は、死ぬまでカネを生む卵か!」と、腹立たしくなりますが、こんな例も同様に思えてしまいます。

このような命=金銭と考える人が、医療補償をターゲットにするのは、本人たちにしてみれば、至極当然なのでしょうが、そのような人が増えれば、医師が嫌気をさして職場を離脱するのも「合成の誤謬」ですね。

そして救命措置をすれば、医療費は間違いなく通常の入院などよりもかかります。

研究データ
では、
その額が驚くようなものではないとされているので、ここではことさら取り上げませんが、『高齢者の医療の確保に関する法律の解説』  土佐和男(高齢者医療制度施行準備室室長補佐)編著
によれば、
「年齢別に見ると、一番医療費がかかっているのが後期高齢者であるから、この部分の医療費を適正化していかなければならない。
特に、終末期医療の評価とホスピスケアの普及が大切である。
実際、高額な医療給付費を見ると、例えば、3日で500万円、1週間で1,000万円もかかっているケースがある。」
などと書かれています。

そんなケースがほぼないとは、前述データで証明されていますが、2011年度国民医療費は、38.6兆円、うち65歳以上は21.4兆円ですから、この言葉はさも真実であるかのように一人歩きして、医療費抑制のネタとして使われるおそれがあります。

経費面ではなく、(強心剤でもたせていても)心臓が動いているのに救命措置をしないのは、親不孝だと考えるのが一般的であるとも承知していますし、それは患者さんと家族の死生観ですので、立ち入るべきではないでしょう。
ですが、私が高齢となっての死に際には、苦しみを続ける延命措置は行って欲しくないし、中村仁一・長尾和宏両医師が看取っている、枯れるような死を望みたいですね。

いつもながら長い前置きですみません。
本題は、そのような手間や経費のかかる救急医療や、OECD各国に比べて対人口あたりの医師数が少ないがゆえの必然的結果=過労・ストレスによって、医師が疲弊し、立ち去っているのを市民が止めた話です。

コンビニ受診をやめようと社会に呼びかけて、小児科医の疲弊を防ごうと市民が医師を守り、小児科閉鎖の危機を脱した
(兵庫)県立柏原(かいばら)病院の小児科を守る会
は、著名です。

そのかいあって、現在、柏原の小児科は、常勤医師4名(非常勤2名)となっており、岸和田市民病院の事務局長も知っていました。
私は「公立病院を存続させるなら、あのような市民主体の動きを、市民病院でも積極的に広報などで伝え、育てる努力も必要です。」と、伝えています。

ですが、これで柏原病院は一件落着ではありません。

現在の各課の医療体制を見てみます。
内科や外科などは常勤医師がいるものの、
泌尿器科 2名(非常勤2名)
眼科1名(非常勤2名)
これ以下は常勤医おらず。

歯科(非常勤6名)
脳神経外科(非常勤2名)
耳鼻咽喉科(非常勤4名)
皮膚科(非常勤3名)
麻酔科 記載なし。 常勤はおらず、非常勤で対応していると思われます。

市民運動で、確かに小児科医療は立て直しましたが、他の診療科では危機が続いています。
手術で必ず必要な麻酔科常勤医の不在は致命的です。

美談仕立てで報道するメディアも、この負の側面は取り上げません。
病院のある丹波市民でも、「小児科が閉鎖せずに済んでよかったね」として、他の診療科の危機に気づいていないかもしれません。

ことほどさように、市民の力だけで地域医療システムを維持するのは困難であり、市長や議会の役割の方が圧倒的に大きいのです。
ところが、それらの人々が、先を見越して医療政策に取り組んでいないばかりか、崩壊へと進めています。

そんな恥ずかしい議員の話は、次回書きます。

として、
議会と市長は地域医療を破壊する編
岸和田市でもそうですが、市長や議員は、医療者ではないので、現場を知りません。
などと書いていましたが、アメブロアカウント共に消去されてしまいました…

 

 

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投稿者:

watchdogkisiwada

議会の無駄遣いを正して、府下ワーストに高い国保・介保料の値下げや、子ども・高齢者施策など、市民利益への還元を! あなたの“かかりりつけよろず相談員”としての使命に励みます!! 行政書士としてトラブル予防を、 防災士として防災や防犯を、 柔道整復師として健康について、 ご相談、承ります。 放漫市長と議会が大赤字にした岸和田市政を立て直す!! あまりにもひどすぎる馴れ合い議会がチェックしていない、議員特権や行政の無駄などを、岸和田で初めて私が追及、是正させています。 情報、批判はコメントいただくか、 メールアドレス:kurohata73@yahoo.co.jp 電話:080-6178-6006まで! 岸和田市議や市長らは私の追及に逃げまどっていますが、自民・公明・維新などのネトウヨ政治家だけでなく、共産・民主他どんな議員とも公開討論、受けて立ちます!!

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