慰安婦問題で恥をかくのは朝日や植村さんでなく産経新聞

署名サイトchange.orgには、民主主義への道だけでなく、ネトウヨ書面募集もできます。

そこで、こんなトンデモ署名集めも行われているのを、次世代の党支持者から教えてもらいました。

宛先: 朝日新聞
慰安婦見舞金は朝日新聞が払え
ですって。


で、これに賛同した人のコメントが、
「そもそも原因をつくったところが責任とれ!」
だったので、以下のようにコメントしました。

 

まさしく産経の恥ですね。

さすが、次世代支持者はお目が高い!
その調子で産経を糺してください!!

元自衛隊員で、自衛隊を戦争に行かせるな!と話される、泥憲和兄貴の主張から引用します。

泥さんは、ヘイトクライム関連でも在特会などと直接対決する方で、理論派でもあり、資料などでもお世話になっています。

 読売も毎日も吉田証言を事実として報道したが、朝日と異なり、訂正していない。
朝日は1992年8月13日を最後に吉田証言を取り上げていない。

 ところが読売及び産経はその後も取り上げている。

 産経新聞は92年に吉田証言に疑問を投げかけている。

 けれど、93年に連載した「人権考」では、「最大の人権侵害である戦争を、『証言者たち』とともに考え、問い直す」として吉田証言をそのまま取り上げている。

 記事は「韓国・済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした『証言者』」だと紹介。
「(証言の)信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた」としつつも、「被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。

 吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ」と報じ、連載は優れた報道に与えられる「第1回坂田記念ジャーナリズム賞」を受賞している。

元朝日新聞記者だった植村さんについては、産経新聞政治部編集委員であり、第一次政権時代から安倍首相べったりの論 陣を張り、NHK の 岩田明子記者とともに“安倍首相の助さん格さん”といわれている阿比留瑠比記者と対談をして、そこで阿比留さんが赤っ恥を書いているので、そちらを取り上 げます。

「韓国人慰安婦を強制連行」と書いたのは朝日でなく産経新聞だった! 植村記者に論破され阿比留記者が赤っ恥 
2015.09.26 (野尻民夫)
から抜粋します。

文章ごとに空白があるのは、中略と解釈ください。

産経側がインタビューに際して植村氏に「記事とは別に『一問一答』を載せる」ことを植村氏に約束した結果、2014 年の対談から1年を経て、産経が2015年8月29日からWeb版で全10回に分け、超長文の「インタビューの詳報」を改めて公開したものから、この野尻 記事は書かれています。

 驚くべきは、植村記者に問われた阿比留記者が、「過去の記事全部をチェックできているわけじゃない」と回答したということだろう。  

 そもそも、他社の慰安婦報道について批判するならば、最低でも比較するため、自社がどのように扱ったかぐらいは把握しておかねばならないだろう。

 だが、阿比留記者は自社の記事も読まないまま、朝日と植村記者を口撃していたのである。

 植村氏の記事については植村氏に直接聞くこともなく、“無責任”に「強制連行の被害者と読める書きぶりだ」と批判 し続けてきた阿比留記者が、植村批判の急先鋒である東京基督教大学教授の西岡力氏が、産経の月刊誌「正論」の中で使っていた論文については「本人に直接聞 かないと」と言葉を濁した。

 植村氏は、西岡氏がどういうつもりで書いたのかを聞いているのではなく、阿比留氏が西岡氏の文章にある「連行」という言葉をどう読むかと聞いているのだ。

 阿比留記者の理屈によると、「強制連行」と書くと、必然的に民間業者ではなく軍や官憲(警察)が関与したと読めるようになる。

 韓国の慰安婦とされた被害者である金学順さんについては、軍や官憲が関与した事実はないのに、植村氏の記事ではあたかもそう読めることが問題なのだと主張し始める。

インタビュー中、植村氏が、1991年12月7日付の産経新聞(大阪版)をおもむろに取り出し、阿比留記者に見せると……。

記事:

〈太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年ごろ、金さんは日本軍の目を逃れるため、養父と義姉の3人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。17歳の時だ。

食堂で食事をしようとした3人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。「お前たちは朝鮮人か。スパイだろう」。そう言って、まず養父を連行。金さんらを無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中、車を走らせた〉

植村「一つお聞きしたい。そうしたら、阿比留さん、この記事はどう読む?」
阿比留「ああ、(記事は)間違っていますね」
植村「間違っている?」
阿比留「はい」
植村「どこが間違っているんですか?」
阿比留「『日本軍に強制的に連行され』という(部分)」
植村「これは産経新聞の記事ですね?」
阿比留「だから、うちが間違っているんですね」
植村「訂正かなんかやられたんですか」
阿比留「これは今日、初めて見ましたから訂正したかどうかはちょっと分かりません」

 なんのことはない。「朝日は世界中に慰安婦に関する嘘をばら撒き、日本を貶めた」と批判している産経新聞こそが、「(金学順さんは)日本軍に強制連行された」とハッキリと報道していたのである。

 ちなみに、朝日には金学順さんに関して「強制連行」と書いた記事はひとつもない。なぜなら、第一報を書いた植村氏に、金さんが強制連行されたという認識がなかったからだ。

そして、何より驚くのは、産経新聞で慰安婦報道の先頭に立っている2人の記者が自社の慰安婦報道についてほとんど把握していなかったという事実である。 他社に対して“歴史戦”を挑むというなら、まずは自社の報道ぶりを検証するのが最低限の作業だろう。しかし、それどころか、阿比留記者らはまさに自分たち が批判している植村氏の記事すら、きちんと読んでいなかったようなのだ。

植村記事は、

(1)元慰安婦の女性がソウル市内に生存し、挺対協が聞き取り調査を始めた、

(2)挺対協は女性の話を録音したテープを記者に公開した、

(3)以下、挺対協の尹代表らによると……という構成になっている。

つまり、テープはあくまでも尹代表らの話の真実性を裏付ける材料のひとつに過ぎず、記事は尹代表らの話を元に書かれているということだ。

 もし、この報道が“記者の作法として”許されないのだとしたら、警察の発表記事などいっさい書けないことになってしまう。

 いまや産経の「顔」とまでいわれる阿比留記者が、それを知らないはずはないのである。

もうひとつの争点(?)である「慰安婦」と「挺身隊」の混同・誤用問題も、植村氏の話には説得力がある。  これは朝日新聞社も昨年8月の検証記事では混 同があったと認めているが、植村氏の主張によれば、そもそも当時の韓国では「慰安婦」という言葉は一般的でなく、この問題に関心のある学者も調査団体の関 係者も、あるいは元慰安婦の人たち自身も、みんな「挺身隊」という言葉を使っていたというのだ。

当然、当時は日韓の新聞の多くが「挺身隊」という言葉を使っていた。1991年9月3日付産経新聞大阪本社版には〈『挺身隊』の名のもとに、従軍慰安婦として狩りだされた〉と、ほとんど植村氏の記事と同じ表現が使われている。読売も、毎日も例外ではない。

 にもかかわらず、植村氏だけがバッシングされ、新しい職場に「辞めさせろ」「殺せ!」といった抗議や脅迫が届くといった事態が起きているのだ。いかに異常なことかがわかるだろう。

 しかし、植村氏は「他紙も間違っているではないか!」とは非難しない。それは、どの会社のどの記者も、その時代時代で真実を追求しようと一生懸命に取材し、記事を書いた結果だからだ。実際、阿比留記者らをそう諭す場面もある。

だが、一方の阿比留記者らは、植村氏が韓国語ができ、韓国の留学経験もある韓国の専門家だから一般の記者とは違う、といった訳のわからない理屈を展開し ようとしたり、阿比留記者も原川記者も実は元慰安婦を直接取材したことがないということが明らかになったり(理由は「韓国語ができないから」。植村氏も 「通訳を使えばできるよ」と当然のツッコミを入れている)、とにかく読みどころ満載の“インタビュー対決”なのだ。

しかも、産経がみっともないのは、8月4日付の紙面で〈「強制連行」「挺身隊」本紙も過去に使用〉とこっそり記事を載せている点だ。元朝日記者の植村氏 からの指摘でわかったということにはいっさい触れず、謝罪も訂正もしていない。朝日新聞に対して「廃刊してお詫びしろ」と迫っていたのに、自分たちの誤報 に対するこの態度はいったいなんなのか。

しかも、これは「産経は正義、朝日は廃刊しろ!」と叫んできた右派知識人やネトウヨたちも同罪だ。

(抜粋ここまで)

たかひらも自戒を込めて書きますが、批判は相手方の主張や論拠を調べてからにするのは当たり前以前のことです。

今までもネトウヨらと対話を重ねてきた経験から言えば、ほとんどのネトウヨらはあったとする資料を見ない。

それでいて「なかった証明はできない」と叫びます。

「それはそうでしょうが、あった資料はその真偽について検証できるのですから、それについて意見をどうぞ。」との私の問いかけに対し、具体的に反論できた人はいません。

別の資料を持ってきて反論のつもりを果たす人はいましたが、それにも反証を示して「あった」証明をすると、そこには反論せず、また別の話を持ち出すのが関の山です。

間違えないように書いておきますが、資料として出しているのは、日本軍や日本側の資料です。

関与した軍人の名前や、その後のその人がどうなったかなど(インドネシアのバタビア・スマラン事件で、慰安所を開設 した能崎清次少将は、処罰どころか事件後の1944年に旅団長になり、1945年3月に陸軍中将に昇格し、4月には第152師団長と出世し、6月には勲1 等瑞宝章を受勲)も示して、説明します。

ネトウヨの皆さんには、せめて議論と批判のルール程度は学んだ上で自身の主張を展開されたいと何度も言い続けています。

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投稿者:

watchdogkisiwada

あなたの“かかりりつけよろず相談員”としての使命に励みます!! 行政書士としてトラブル予防を、 防災士として防災や防犯を、 柔道整復師として健康について、 ご相談、承ります。 放漫市長と議会が大赤字にした岸和田市政を立て直す!! あまりにもひどすぎる馴れ合い議会がチェックしていない、議員特権や行政の無駄などを、岸和田で初めて私が追及、是正させています。 情報、批判はコメントいただくか、 メールアドレス:kurohata73@yahoo.co.jp 電話:080-6178-6006まで! 岸和田市議や市長らは私の追及に逃げまどっていますが、自民・公明・維新などのネトウヨ政治家だけでなく、共産・民主他どんな議員とも公開討論、受けて立ちます!!

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