中山泰秀衆議員に送る、日本側による従軍慰安婦資料

前回お話させていただいたものについて、資料を提示し、中山さんやネトウヨの皆さんにとって良き学びであるよう願うっております。

① 大前提として、当時売春がどのような決まりのもとに合法とされていたか。

合法であっても自由にできたわけではありません。
娼妓取締規則 (1900年発布、46年廃止)が決められていました。

抜粋すると、
満18歳以上の女性で、娼妓になろうとする者は、自ら出頭して、
娼妓となる事由、
尊属親や戸主の承諾を得ていること、
娼妓稼をなすべき場所や住居
などを記載した書面と、
これらについての承諾書および市区町村長の作った承諾書印鑑証明書を添付して、
娼妓所在地所轄警察署に備える娼妓名簿に登録されたものでなければ娼妓稼をなすことができない。

登録申請者は登録前健康診断を受けなければならない。

娼妓は庁府県令をもって指定する地域外に住居することができないし、官庁の許可した貸座敷内でなければ娼妓稼はできない。

警察官署は娼妓名簿の登録拒否ができ、庁府県長官は娼妓稼を停止し、または禁止することができ、
娼妓稼を禁止された者は娼妓名簿から削除されるが、また娼妓その他の者からの申請によっても削除する。

娼妓名簿削除の申請は原則として書面または口頭をもって自ら警察署に出頭してこれをなさなければならず、娼妓名簿の削除申請に関しては何人といえども妨害をなすことはできないのであり、これを妨害する者は3ヶ月以下の懲役または100円以下の罰金に処すことができる。
何人といえども娼妓と通信、面接、文書の閲読、物件の所持、購買その他の自由を妨害することはできない。
などとされています。

つまり通常の商売をする許可制のようになっていたわけです。
ならば、慰安婦の数どころか、どこの誰で、どれだけの期間、どこで“働いて”いたのか、当然ながらわかりますし、18歳未満の少女はいなかったとなります。

そして外地に向かう慰安婦についてはさらに厳しく、後述しますが
満21歳以上の伝染性疾患のない者でかつ華中・華北に向かう者に限って当分の間黙認し、身分証明書を発給するとしています。

これを破れば、厳しい戒律の日本軍のことですから、さぞや厳しい罰則を受けたんでしょうね。
そんな記録についても提示できるはずですが、ネトウヨらは慰安婦研究者の資料にいちゃもんをつけるだけで、反証を出してはきません。

② バタビア臨時軍法会議の記録戦後のオランダ軍による戦犯裁判で、日本の軍人ら9人が1944年2~4月ごろ、インドネシア・ジャワ島で抑留されていたオランダ人女性に売春を強制したなどとして死刑を含む有罪判決がありました(スマラン事件)。

これをもって慰安所を日本軍は厳しく戒めたとしたがるようですが、そうではないとの資料です。

1993年オランダ政府の調査報告では、「日本軍の慰安所で働いたオランダ人女性は200~300人、そのうち65人は売春を強制されたことが絶対確実である」とされています。
これについては、確かに約2ヶ月で閉鎖しています。

ですが、アジア女性の慰安所はそのまま継続し続け、 慰安所設置の現地軍人は出世し、最後にバタビア臨時軍法会議(オランダによるBC級戦犯裁判)で処罰されています。
ちなみにオランダ女性による慰安所について、設置・監督者に日本軍から注意とか譴責はあったかも知れませんが、厳重な処罰はなされていません。

アジア女性による慰安所について、
管轄する部隊のトップは、南方軍幹部候補生隊隊長兼スマラン駐屯地司令官の能崎清次少将でした。
彼は、事件の直後の6月に独立混成第56旅団長になり、1945年3月には中将に昇進しています。
4月には第152師団長に就任して内地に帰り、千葉県銚子附近で本土決戦に備えているのです。

同じくバタビア臨時軍法会議で裁かれ、10年の懲役刑を受けた幹部候補生隊副官の河村千代松大尉は、1944年12月には少佐に昇進しています。

日本軍は、厳しく罰する者を即時昇進させるほどの寛容さを持っていたのでしょうか?
そんなはずはありませんけれども。

③ 県警間の問い合わせ記録
和歌山県知事から内務省警保局長に宛てた1938年2月7日付の「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」と題した報告書について。

この報告書によれば、和歌山県田辺警察署は、挙動不審の男性3名に、婦女誘拐の容疑ありとして任意同行を求めた際、彼らはこう答えています。

「自分たちは疑わしいものではない。軍部の命令で上海皇軍慰安所に送る酌婦募集にきたのだ。3千名の要求に対し、70名はすでに陸軍御用船で長崎港から憲兵護衛の上、送致済みである。」

しかし警察は、「無智ナル婦女子ニ対シ金儲ケ良キ点、軍隊ノミヲ相手ニ慰問シ、食料ハ軍ヨリ支給スル等、誘拐ノ容疑アルヲモッテ被疑ヲ同行、取締ヲ開始ス」と、「警察の鑑札もないのに娼婦を募集するのは違法だ。」とします。

男性が所持していた契約書には、満16歳からと書いてありました。
これは①で大前提として示した「娼妓取締規則」のみならず、借金を背負わせて身分を拘束し、年季奉公させるなとする「人身売買禁止令(1872年)」)に違反。
それによって売春させなとする「司法省令第22号」にも違反しています。

特に後者の省令は売春させる目的で金を貸しても、娼婦はそれを返さなくてよいし、それについて業者が裁判を起こしても、裁判所は受け付けないというものです。

この資料文中には、長崎県外事警察課長から和歌山県刑事課長に宛てて出された1938年1月20日付の回答文書「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」の写しが参考資料として添付されています。

さらにその長崎からの回答文書中には、在上海日本総領事館警察署長(田島周平)より長崎県水上警察署長(角川茂)に宛てた依頼状、1937年12月21日付「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」の写しが収録されています。

これらによって、1937年の12月中旬に上海の総領事館と陸軍武官室と憲兵隊の3者間で協議がおこなわれた結果、前線に陸軍慰安所を設置することが決定され、その運用に関して3者間に任務分担の協定が結ばれたこと、
軍と総領事館の依頼を受けた業者は在上海総領事館の発行する身分証明書を所持して、日本内地及び朝鮮にわたり、慰安所で働く女性の募集活動に従事したことが判明しています。

強制連行で、中国・朝鮮人の男性を、鉱山などで死ぬまで働かせているのに、女性は紳士的に扱ったわけがありません。

これらの詳しい説明は、「陸軍慰安所の設置と慰安婦募集に関する警察史料」  永井和
をご覧ください。

③ 日本人が騙されて慰安婦として海外へ移送された資料。

タイピストとして募集され、現地到着後、慰安婦とされた件の出展は『週刊新潮1974年8月22日号「撃沈された女子軍属たちが集団慰安婦に墜ちるまでの戦争体験」』を参照ください。

追加資料として、
「慰安婦」言説再考 日本人「慰安婦」 の被害者性をめぐって
木下直子(九州大学大学院比較社会文化学府 2013年度博士論文)
からも抜粋します。

① 1932年,上海に設置された海軍の「慰安所」に日本人女性が騙されて入れられるという事件が起こった(「長崎事件」)。

これについて1936年2月14日に長崎地裁が被害者の移送に関わった業者およびその妻など関係者を有罪と認める判決を出した(長崎地方裁判所刑事部昭和11年2月14日判決)。

同年9月28日に長崎控訴院第一刑事部も地裁判決を支持する判決を出し、1937(昭和12)年3月5日に大審院第四刑事部判決が出て有罪が確定している。

詳細は法律家の戸塚悦朗の解説に詳しいが,被告人らは女性が従事するのが「醜業」であることを告げず「女給又ハ女中ト欺罔シテ」上海に移送しようと協議し たと地裁判決で認定されている(戸塚悦朗、「戦時女性に対する暴力への日本司法の対応,その成果と限界――発掘された日本軍『慰安婦』拉致処罰判決 (1936年)をめぐって(上)」『季刊戦争責任研究』2004年)。

1933年には,日本軍将兵向けの「カフェー」を開業するために,「女給」にする目的で未成年のIほか数名の女性を静岡県から「満州」に移送する事件が起こった(「静岡事件」)。 「女給」といっても予定されていた営業内容からして「慰安婦」である。
この事件について,大審院が長崎事件よりも先に有罪を認める判決を出しており、現在のところ、この大審院判決(「国外移送誘拐被告事件」(1937年3月5日)は「慰安婦」関連の国外移送目的誘拐罪の成立を認めた最初の公文書とされている。

② 内務省警保局長より1938年2月23日付けで東京府知事を除く各庁府県長官宛てに発出された「支那渡航婦女の取扱に関する件」(以下,「警保局長通牒」)という通牒によれば、
「醜業」(売春)を目的とする女性の渡航について、現に「内地」で事実上「醜業」を営む者、要するに売春婦であり、満21歳以上の伝染性疾患のない者でかつ華中・華北に向かう者に限って当分の間黙認し、身分証明書を発給すると告げた。

身分証明書の申請は「醜業」を目的として渡航しようとする婦女本人が警察署でおこなうとも規定している。そして正規の許可あるいは在外公館などの発行する 証明書を持たない者の募集周旋は認めないとしており、吉見はこれにより「周旋業者の背後に多くの場合軍がおり」、「慰安婦の徴集に、軍・警察・外務省(在 外公館)が深くかかわっていた」と指摘している(吉見義明編1992: 『従軍慰安婦資料集』大月書店)。

渡航する女性が「内地」で「醜業」を営む「満21歳以上」に限定されているのは,日本が加入していた「婦女売買に関する国際条約」36の年齢規定に違反しないようにするためである。

しかし、日本政府は朝鮮・台湾・関東租借地には条約が適用されないよう手続きをとっていた。
1910年の条約(「醜業を行はしむる為の婦女売買取締に 関する国際条約」[1910年5月4日にパリで締結、日本は1925年10月21日に加入書寄託]では第11条で植民地等に条約内容を実施する際は文書をもって通告するとあり、日本政府はなにもしなかった。

1921年の条約(「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」[1921年9月30日にジュネーブで締結、日本は1925年12月25日批准書寄託]では 第14条で植民地等を除外する場合は宣言することができるとあり、日本政府は調印時に朝鮮・台湾・関東租借地を包含しない旨宣言している。

そのため「大量の慰安婦が植民地から徴集されることとなった」(前述吉見編1992)。

資料目録としては、以下のサイトを提示しておきます。

事実認定資料 (合計53点)

529資料の内訳

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投稿者:

watchdogkisiwada

岸和田市の財政位破綻を止める!! 財政破綻が明らかになるほど税金を食いつぶされながら、議会も見て見ぬふりをする 土建屋ファーストな市政を正す!! あまりにもひどすぎる馴れ合い議会がチェックしていない、議員特権や行政の無駄などを、岸和田で初めて私が追及、是正させています。 あなたの“かかりりつけよろず相談員”としての使命に励みます!! 行政書士としてトラブル予防を、 防災士として防災や防犯を、 柔道整復師として健康について、 ご相談、承ります。 情報、批判はコメントいただくか、 メールアドレス:kurohata73@yahoo.co.jp 電話:080-6178-6006まで! 岸和田市議や市長らは私の追及に逃げまどっていますが、自民・公明・維新などのネトウヨ政治家だけでなく、共産・民主他どんな議員とも公開討論、受けて立ちます!! 【メディア出演】 TBS「ビビット」、MBS「VOICE」、ABC「キャスト」他ニュース 読売・産経・朝日・毎日の各新聞社で、その活躍は、度々紹介されています。

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